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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)5335号 判決 1970年6月22日

第五三三三号事件原告 昭和石油株式会社

第五三三五号事件原告 昭和石油アスフアルト

第五三三三号事件・第五三三五号事件・被告 大正海上火災保険株式会社

第五三三三号事件被告 東京海上火災保険株式会社 外五名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用のうち、原告昭和石油株式会社と被告ら七名との間で生じた分は同原告の、原告昭和石油アスフアルト株式会社と被告大正海上火災保険株式会社との間で生じた分は同原告の、その余の原告らと被告らとの間で生じた分は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の申立て

一  原告ら

1  昭和四一年(ワ)第五三三三号事件について

(原告昭和石油株式会社)

(一) 原告昭和石油株式会社に対し、

被告大正海上火災保険株式会社は、金五六四、四八七、一一九円およびこれに対する昭和三九年一〇月九日より支払い済みに至るまで、年六分の割合による金員を、

被告東京海上火災保険株式会社は、金二二一、四八七、四三三円およびこれに対する昭和三九年一〇月九日より支払い済みに至るまで年六分の割合による金員を、

被告住友海上火災保険株式会社は、金一一四、一一〇、四九三円およびこれに対する昭和三九年一〇月九日より支払い済みに至るまで年六分の割合による金員を、

被告安田火災海上保険株式会社は、金八七、一六四、四四四円およびこれに対する昭和三九年一〇月九日より支払い済みに至るまで年六分の割合による金員を、

被告日本火災海上保険株式会社は、金八九、四〇五、〇六八円およびこれに対する昭和三九年一〇月九日より支払い済みに至るまで年六分の割合による金員を、

被告朝日火災海上保険株式会社は、金三、二二三、一六五円およびこれに対する昭和三九年一〇月九日より支払い済みに至るまで年六分の割合による金員を、

被告大東京火災海上保険株式会社は、金一二、〇八六、六五三円およびこれに対する昭和三九年一〇月九日より支払い済みに至るまで年六分の割合による金員を、

それぞれ支払え。

(二) 訴訟費用は、被告ら七名の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

2  昭和四一年(ワ)第五三三五号事件について

(原告昭和石油アスフアルト株式会社)

(一) 被告大正海上火災保険株式会社は、原告昭和石油アスフアルト株式会社に対し、金七一、九九三、〇〇〇円およびこれに対する昭和三九年一〇月一五日より支払い済みに至るまで年六分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は、同被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行の宣言を求める。

二  被告ら

1  昭和四一年(ワ)第五三三三号事件について

(被告ら七名)

(一) 原告昭和石油株式会社の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は、同原告の負担とする。

との判決を求める。

2  昭和四一年(ワ)第五三三五号事件について

(被告大正海上火災保険株式会社)

(一) 原告昭和石油アスフアルト株式会社の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は、同原告の負担とする。

との判決を求める。

第二請求の原因

一  原告昭和石油株式会社(以下「原告昭和石油」という。)の被告ら七名に対する請求の原因

1  原告昭和石油は、石油の精製、加工ならびに売買を主たる目的とする会社であり、東京都千代田区に本社を、川崎市、新潟市および秋田県由利郡仁賀保町平沢に製油所を、東京をはじめ全国各地に営業所ならびに油槽所を有している。

被告らは、いずれも火災等の保険事業を営む会社である。

2  原告昭和石油は、その所有にかかる新潟市沼垂四九一四番地所在の新潟製油所および新潟油槽所を構成する物件等を保険の目的とし、原告昭和石油を被保険者とし、左記第一ないし第一三の契約中保険者欄記載の被告を各契約についての保険者とし、左記第一ないし第一三の火災保険契約を締結し、かつ左記各契約について所定の保険料の支払いを了した。

(一) 第一契約

(1)  証券番号 第五四、八〇五号

(2)  保険者 被告大正海上火災保険株式会社(以下「被告大正海上」という。)

(3)  保険の目的 原告昭和石油新潟製油所旧帝国酸素工場建物等(別紙第一目録<省略>記載のとおり)

(4)  保険金額 合計金五八〇、〇〇〇円(明細は同目録記載のとおり)

(5)  契約締結時における保険価額 保険金額と同額

(6)  保険期間 自昭和三八年七月一日午後四時

至昭和三九年七月一日午後四時

(7)  保険料 金一、三二六円

(二) 第二契約

(1)  証券番号 第五五、二三六号

(2)  保険者 被告大正海上、同東京海上火災保険株式会社(以下「被告東京海上」という。)、同住友海上火災保険株式会社(以上「被告住友海上」という。)、同安田火災海上保険株式会社(以下「被告安田火災」という。)、同日本火災海上保険株式会社(以下「被告日本火災」という。)

(3)  保険の目的 原告昭和石油新潟製油所建物、タンク、装置、機械器具、什器その他一式(別紙第二目録<省略>記載のとおり)

(4)  保険金額 合計金一、一三四、七七〇、〇〇〇円(明細は同目録記載のとおり) 各被告の分担率および保険金額(右保険金額合計額に対し分担率を乗じた額)は、左のとおりである。

保険者   分担率       保険金額

被告大正海上 五六%   金六三五、四七一、二〇〇円

同 東京海上 一八%   金二〇四、二五八、六〇〇円

同 住友海上  九%   金一〇二、一二九、三〇〇円

同 安田火災  九%   金一〇二、一二九、三〇〇円

同 日本火災  八%    金九〇、七八一、六〇〇円

合計   一〇〇% 金一、一三四、七七〇、〇〇〇円

(5)  契約締結時における保険価額 保険金額と同額

(6)  保険期間 自昭和三八年一〇月一日午後四時

至昭和三九年一〇月一日午後四時

(7)  保険料 金二、八六八、九〇七円(保険者全員についての合計額)

(8)  本契約は、保険者たる各被告が各保険の目的につきその分担率の限度で権利を有し義務を負担するところのいわゆる分担契約(以下「分担契約」という。)である。

(三) 第三契約

(1)  証券番号 第五五、二三七号

(2)  保険者 被告大正海上、同東京海上、同住友海上、同安田火災、同日本火災、同朝日火災海上株式保険会社(以下「被告朝日火災」という。)

(3)  保険の目的 原告昭和石油新潟製油所製品、半製品、仕掛品、材料、貯蔵品一式(別紙第三目録<省略>記載のとおり)

(4)  保険金額 合計金一六四、四四〇、〇〇〇円(明細は同目録記載のとおり)

各被告の分担率および保険金額は、左のとおりである。

保険者   分担率     保険金額

被告大正海上 五〇%  金八二、二二〇、〇〇〇円

同 東京海上 一五%  金二四、六六六、〇〇〇円

同 住友海上 一〇%  金一六、四四四、〇〇〇円

同 安田火災 一〇%  金一六、四四四、〇〇〇円

同 日本火災 一〇%  金一六、四四四、〇〇〇円

同 朝日火災  五%   金八、二二二、〇〇〇円

合計   一〇〇% 金一六四、四四〇、〇〇〇円

(5)  契約締結時における保険価額 保険金額と同額

(6)  保険期間 自昭和三八年一〇月一日午後四時

至昭和三九年一〇月一日午後四時

(7)  保険料 金八七二、一四四円(保険者全員についての合計額)

(8)  本契約は分担契約である。

(四) 第四契約

(1)  証券番号 第五五、二三八号

(2)  保険者 被告大正海上

(3)  保険の目的 原告昭和石油新潟製油所構内建物、什器備品一式(別紙第四目録<省略>記載のとおり)

(4)  保険金額 合計金三〇、二八五、〇〇〇円(明細は同目録記載のとおり)

(5)  契約締結時における保険価額 保険金額と同額

(6)  保険期間 自昭和三八年一〇月一日午後四時

至昭和三九年一〇月一日午後四時

(7)  保険料 金一五五、七四六円

(五) 第五契約

(1)  証券番号 第五五、二七〇号

(2)  保険者 被告大正海上

(3)  保険の目的 原告昭和石油新潟製油所LPG建物・タンク、機械(別紙第五目録<省略>記載のとおり)

(4)  保険金額 合計金一五、三〇〇、〇〇〇円(明細は同目録記載のとおり)

(5)  契約締結時における保険価額 保険金額と同額

(6)  保険期間 自昭和三八年一〇月一日午後四時

至昭和三九年一〇月一日午後四時

(7)  保険料 金三八、一二三円

(六) 第六契約

(1)  証券番号 第五五、五二六号

(2)  保険者 被告大正海上

(3)  保険の目的 原告昭和石油新潟製油所エアホーム原液槽一〇KL二基、水タンク一基

(4)  保険金額 合計金六五〇、〇〇〇円(明細は別紙第六目録<省略>記載のとおり)

(5)  契約締結時における保険価額 保険金額と同額

(6)  保険期間 自昭和三八年一二月一七日午後四時

至昭和三九年一二月一七日午後四時

(7)  保険料 金三九〇円

(七) 第七契約

(1)  証券番号 ト第九〇五、七〇六号

(2)  保険者 被告東京海上、同大正海上、同住友海上、同安田火災、同日本火災、同大東京火災海上保険株式会社(以下「被告大東京火災」という。)

(3)  保険の目的 原告昭和石油新潟製油所、新潟油槽所およびその他の製油所、油糟所の在蔵在庫石油類および容器類一式(ただし、昭和三九年六月一六日午後一時現在における新潟製油所および新潟油槽所の在庫品の明細は別紙第七目録<省略>記載のとおり) (4)  填補金制限額 新潟製油所について金八〇〇、〇〇〇、〇〇〇円

新潟油槽所について金七五、〇〇〇、〇〇〇円

各被告の分担率 被告東京海上  二八%

同 大正海上  二七%

同 住友海上  二〇%

同 安田火災   五%

同 日本火災  一〇%

同 大東京火災 一〇%

合計  一〇〇%

(5)  保険期間 自昭和三八年一一月一日午後四時

至昭和三九年一一月一日午後四時

(6)  暫定保険料 金一三、一六二、九八〇円(保険者全員についての全物件に対する保険料の合計額)

(7)  本契約は、火災通知保険特約条項によるいわゆる通知保険契約であり、かつ分担契約である。

(八) 第八契約

(1)  証券番号 第九三四、九五九号

(2)  保険者 被告大正海上

(3)  保険の目的 原告昭和石油新潟製油所木骨モルタル塗り瓦葺平家建第二製品倉庫一棟に収容の貯蔵品一式(別紙第八目録<省略>記載のとおり)

(4)  保険金額 合計金一七、六〇〇、〇〇〇円

(5)  契約締結時における保険価額 保険金額と同額

(6)  保険期間 自昭和三八年一一月一三日午後四時

至昭和三九年一一月一三日午後四時

(7)  保険料 金一一三、五六八円

(九) 第九契約

(1)  証券番号 第九三六、八四六-A号

(2)  保険者 被告大正海上、同東京海上、同住友海上、同安田火災、同日本火災、同大東京火災

(3)  保険の目的 原告昭和石油新潟製油所建物、機械、装置外一式(別紙第九目録<省略>記載のとおり)

(4)  保険金額 合計金一、四六〇、〇三〇、〇〇〇円(明細は同目録記載のとおり) 各被告の分担率および保険金額は、左のとおりである。

保険者  分担率     保険金額

被告大正海上 四四% 金六四二、四一三、二〇〇円

同 東京海上 二九% 金四二三、四〇八、七〇〇円

同 住友海上  八% 金一一六、八〇二、四〇〇円

同 安田火災  八% 金一一六、八〇二、四〇〇円

同 日本火災  八% 金一一六、八〇二、四〇〇円

同 大東京火災 三%  金四三、八〇〇、九〇〇円

(5)  契約締結時における保険価額 保険金額の二倍

(6)  保険期間 自昭和三八年一一月一日午後四時

至昭和三九年一一月一日午後四時

(7)  保険料 金四、一一七、〇八六円(保険者全員についての合計額)

(8)  本契約は分担契約である。

(一〇) 第一〇契約

(1)  証券番号 第九三六、八四六-B号

(2)  本契約の内容は第九契約と全く同一である。

(一一) 第一一契約

(1)  証券番号 第九四六、六〇〇号

(2)  保険者 被告大正海上

(3)  保険の目的 原告昭和石油新潟油槽所建物、設備、装置、什器、備品、貯蔵品一式(別紙第一〇目録<省略>記載のとおり)

(4)  保険金額 合計金三八、〇九〇、〇〇〇円(明細は同目録記載のとおり)

(5)  契約締結時における保険価額 保険金額と同額

(6)  保険期間 自昭和三九年六月一日午後四時

至昭和四〇年六月一日午後四時

(7)  保険料 金一五四、三四九円

(一二) 第一二契約

(1)  証券番号 第九四六、六四八号

(2)  保険者 被告大正海上

(3)  保険の目的 原告昭和石油新潟製油所機械、装置、配管一式(別紙第一一目録<省略>記載のとおり)

(4)  保険金額 合計金二六、〇〇〇、〇〇〇円(明細は同目録記載のとおり)

(5)  契約締結時における保険価額 保険金額と同額

(6)  保険期間 自昭和三九年五月一日午後四時

至昭和四〇年五月一日午後四時

(7)  保険料 金六九、二五六円

(一三) 第一三契約

(1)  証券番号 組第一、一八八号

(2)  保険者 被告大正海上、同東京海上、同住友海上、同安田火災、同日本火災、同大東京火災

(3)  保険の目的 原告昭和石油新潟製油所石油精製プラント(拡充工事中)

(このうち昭和三九年四月三〇日以降保険の目的となつているものは別紙第一二目録<省略>記載のとおり)

(4)  保険金額 同目録記載の物件については合計金二四三、二〇〇、〇〇〇円(明細は同目録記載のとおり)

各被告の分担率および保険金額は、左のとおりである。

保険者  分担率     保険金額

被告大正海上 五〇% 金一二一、六〇〇、〇〇〇円

同 東京海上 二七% 金 六五、六六四、〇〇〇円

同 住友海上  七%  金一七、〇二四、〇〇〇円

同 安田火災  七%  金一七、〇二四、〇〇〇円

同 日本火災  七%  金一七、〇二四、〇〇〇円

同 大東京火災 二%  金 四、八六四、〇〇〇円

合計   一〇〇% 金二四三、二〇〇、〇〇〇円

(5)  保険期間 同目録保険期間欄記載のとおり

(6)  保険料 金七九二、八三二円(同目録記載の物件に対し保険者全員についての合計額)

(7)  本契約は、組立保険普通保険約款によるいわゆる組立保険契約であり、かつ分担契約である。

3  右各契約の保険の目的たる別紙第一ないし第一二目録記載の物件(ただし、同目録中請求金額零の物件ならびに第七目録タンク番号八一、八三、八五、五一四、五一六、揮タンクの物件を除く。)は、右各契約の保険期間内である昭和三九年六月一六日より同月二〇日までの間に、火災によつて、その全部または一部が焼失したので、原告昭和石油は、右火災により、別紙請求金額一覧表<省略>請求金額欄記載の金額の合計額たる金一、一〇一、九六四、三七五円の損害を被つた。

4  原告昭和石油は、各被告に対し、保険約款の定めるところに従い、昭和三九年八月六日、文書によつて右火災による損害の発生を通知し、かつ、同年九月八日に火災状況および損害の見積を記載した書面を作成して提出した。

5  したがつて、各被告は、原告に対し、同約款の定めるところにより、原告が所定の手続を了した日より三〇日以内である昭和三九年一〇月八日までに、それぞれ別紙請求金額一覧表各被告欄記載のとおりの損害をてん補すべき義務を負担するに至つた。

すなわち、各被告の負担額は左のとおりである。

被告大正海上  金五六四、四八七、一一九円

同 東京海上  金二二一、四八七、四三三円

同 住友海上  金一一四、一一〇、四九三円

同 安田火災  金 八七、一六四、四四四円

同 日本火災  金 八九、四〇五、〇六八円

同 朝日火災  金  三、二二三、一六五円

同 大東京火災 金 二二、〇八六、六五三円

6  よつて、原告昭和石油は、各被告に対し、申立欄記載のとおり、それぞれ右金員の合計額ならびにこれに対する昭和三九年一〇月九日よりその支払い済みに至るまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  原告昭和石油アスフアルト株式会社(以下「原告昭和石油アスフアルト」という。)の被告大正海上に対する請求の原因

1  新潟アスフアルト工業株式会社(以下「新潟アスフアルト工業」という。)は、瀝青製品の製造、加工および販売ならびにプロパンガスの販売等を主たる目的とする会社であり、被告大正海上は、火災等の保険事業を営む会社である。

2  新潟アスフアルト工業は、その所有にかかる新潟市沼垂四九一四番地所在の新潟工場を構成する物件およびその収容品等を保険の目的、新潟アスフアルト工業を被保険者、被告大正海上を保険者として、同被告との間に左記第一ないし第三の各火災保険契約を締結し、それぞれ所定の保険料を支払つた。

(一) 第一契約

(1)  証券番号 第五四、八九五号

(2)  保険の目的 別紙第一三目録<省略>記載のとおり。

(3)  保険金額 合計金七二、四五〇、〇〇〇円(明細は同目録記載のとおり)

(4)  契約締結時の保険価額 同目録記載のとおり。

(5)  保険期間 自昭和三八年八月一日午後四時

至昭和三九年八月一日午後四時

(6)  保険料 金五一〇、三七〇円

(二) 第二契約

(1)  証券番号 第五五、二〇一号

(2)  保険の目的 別紙一四目録<省略>記載のとおり。

(3)  保険金額 合計金八、〇〇〇、〇〇〇円(明細は同目録記載のとおり)

(4)  契約締結時の保険価額 同目録記載のとおり。

(5)  保険期間 自昭和三八年一〇月一二日午後四時

至昭和三九年一〇月一二日午後四時

(6)  保険料 金三九、二五〇円

(三) 第三契約

(1)  証券番号 第五五、五〇九号

(2)  保険の目的 別紙第一五目録<省略>記載のとおり。

(3)  保険金額 合計金一六、九五〇、〇〇〇円(明細は同目録記載のとおり)

(4)  契約締結時の保険価額 同目録記載のとおり。

(5)  保険期間 自昭和三八年一二月二三日午後四時

至昭和三九年一二月二三日午後四時

(6)  保険料 金一一七、八三五円

(7)  そして、本契約には左のとおりの利益担保特約条項が付されていた。

(イ) 特約証番号 第〇一八〇号

(ロ) てん補される項目 従業員月例給料、賞与

(ハ) 特約保険金額 金二三、〇〇〇、〇〇〇円

(ニ) てん補期間 三か月間

(ホ) 営業収益を定める基準 生産高

(ヘ) 保険期間 自昭和三八年一二月二三日午後四時

至昭和三九年一二月二三日午後四時

(ト) 保険料 金一〇七、一八〇円

3  そして、右各保険の目的たる別紙第一三ないし第一五目録記載の物件は、右各保険期間内である昭和三九年六月一六日より同月一八日までの間に、火災によつて、全部または一部が焼失したので、新潟アスフアルト工業は、右火災により、同各目録中火災による損害欄記載の金額の合計金六七、二四三、〇〇〇円の損害を被つた。

さらに、右新潟工場においては、爾後三か月以上にわたり、その生産高は皆無であつたにかかわらず、従業員に対する給料および賞与は通常どおり支払われ、右三か月間のその合計額は金五、七五〇、〇〇〇円を超えた。

4  かくして、新潟アスフアルト工業は、被告大正海上に対し、保険約款の定めるところに従い、右火災による損害の発生を通知し、昭和三九年九月一四日火災状況調書および損害の見積を記載した書面を作成して提出した。

5  よつて、被告大正海上は、新潟アスフアルト工業に対し、同約款および利益担保特約条項の各規定に従い、同会社が所定の手続を了した日から三〇日以内である昭和三九年一〇月一四日までに右損害のうち、一部保険については、同約款に従つて算出した金額より少ない別紙第一三ないし第一五目録請求金額欄記載の金額、合計金六六、二四三、〇〇〇円ならびに原告が火災発生後三か月間に従業員に支給した給料および賞与のうち、金五、七五〇、〇〇〇円をそれぞれてん補する義務を負担するに至つた。

6  その後昭和四三年四月一日、新潟アスフアルト工業株式会社は合併により消滅し、原告昭和石油アスフアルト株式会社がその権利義務を承継した。よつて、原告昭和石油アスフアルトは、被告大正海上に対し、右負担金額の合計金七一、九九三、〇〇〇円およびこれに対する昭和三九年一〇月一五日より右支払い済みに至るまで、商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

第三請求の原因に対する答弁

一  原告昭和石油の請求の原因に対する被告ら七名の答弁

1  請求の原因第一項の事実は認める。

2  同第二項の事実のうち、左記の点は不知、その余は認める。

(一) 第一ないし第六および第八ないし第一二契約中、契約締結時における保険価額。

(二) 第七契約中、保険の目的の昭和三九年六月一六日午後一時現在における新潟製油所および新潟油槽所の在庫品の明細。

3  同第三項の事実のうち、保険の目的中全部または一部焼失したもののあることは認めるが、その数量および損害額は不知。

4  同第四項の事実は認める。

5  同第五項の主張は争う。

二  原告昭和石油アスフアルトの請求の原因に対する被告大正海上の答弁

1  請求の原因第一項の事実は認める。

2  同第二項の事実のうち、第一ないし第三契約中契約締結時の保険価額は不知、その余は認める。

3  同第三項中、保険の目的中全部または一部焼失したもののあることは認めるが、その数量および損害額は不知。

4  同第四項の事実は認める。

5  同第五項の主張は争う。

第四抗弁

本件保険の目的である建物その他の物件は、以下に詳述するとおり、昭和三九年六月一六日突如発生したいわゆる新潟地震に因つて生じた火災により焼失したものであるが、原被告間に締結せられた本件火災保険契約の内容をなす火災保険普通保険約款五条一項は、「当会社は次に掲げる損害を填補する責に任じない」と規定し、その八号には、「原因が直接であると間接であるとを問わず、地震又は噴火に因つて生じた火災及びその延焼その他の損害」と定められており、組立保険普通保険約款六条にもその一項で「当会社は、直接であると間接であるとを問わず、保険の目的につき次に掲げる事故により生じた損害に対しては、てん補する責に任じない」と定め、その三号に「地震または噴火による事故」を掲げているのであるから、本件原告らの損害に対しては被告らに保険金支払いの義務のないものである。

以下、項を分かつて詳論する。

一  地震免責条項の意義

1  地震免責条項が設けられた趣旨について

約款が右のような免責条項を設けたゆえんのものはつぎのとおりである。すなわち、地震による破壊が起こると木造家屋の多いわが国では同時に各所において火源と可燃物が接触して火災が多発する。また、大量の危険物を取り扱う工場等ではその危険物が管理の外に逸脱して大火発生の原因となる。一方道路の亀裂、橋梁の不同沈下、通信水道施設の破壊と人心の動揺、避難のための混乱により、火災の防止ないし消防活動が一時的に停止されまたは不可能となる。すなわち人的にも物的にも秩序が破壊せられて異状状況を惹起するので平時では想像もできないような巨大な火災損害を生ずることとなる。そのため普通火災を予定せる保険料の集積をもつてこれら異状状況の下に生じた火災損害をてん補することは保険における給付反対給付均等の原則を破り保険の組織を根底からゆるがす結果となるからである。

2  地震に因つて生じた火災およびその延焼の意義について

火災保険における火災の意義については、社会通念上いわゆる火事とみとめられる性質と規模すなわち通常の用法における状態を逸脱して固有の力をもつて蔓延しうる状態におかれた火力の燃焼作用をいうと説かれている。

火災は火源と可燃物との接触によつて発生し漸次拡延するものであるが、その拡延状態からこれをいわゆる「火元の火災」と「延焼火災」とに区別することができる。

火災保険普通保険約款一条において保険者が保険の目的につき担保する危険は「火元の火災」たると「延焼火災」たるとを問わないことはいうまでもないが、保険の目的が「延焼火災」に因つて損害をうけたということは「火元の火災」(厳密にいえば保険の目的に延焼するまでの拡延した「火元の火災」)を原火とし、いわばこれを火源としてこれに可燃物が接触して保険の目的が焼燬されたということにほかならない。

地震免責条項にいう「地震に因つて生じた火災」にも「地震に因つて生じた火元の火災」と「地震に因つて生じた延焼火災」との区別が存する。すなわち地震に因つて火源が作出され、これに可燃物が接触したかあるいは既存の火源に地震に因つて可燃物が接触したことにより生じた火災は「地震に因つて生じた火元の火災」に該当するのに対し、地震に因らざる火災を原火としこれをいわば火源としてこれに地震に因つて可燃物が接触して拡延した火災は「地震に因つて生じた延焼火災」である。したがつてまた免責条項にいう地震に因つて生じた火災「及びその延焼」とは「地震に因つて生じた火元の火災の延焼」と「地震に因つて生じた延焼火災の延焼」の両者を含むものである。

なお、原告らは、「火元の火災」がもしも地震を原因として発生したものでないならば、「その火災の延焼」に因る損害は免責条項の文理解釈上、当然保険者免責の範囲外であると主張するが、上述のとおり、地震に因つて生じた延焼もまた地震に因つて生じた火災であるから、「火元の火災」の発生原因を詮索するのみで「延焼」の原因についてはなんら究明することのない被告の所論は免責条項を正解せざるによるものであつてまさに詭弁を弄するものというのほかはない。

3  地震と火災損害との因果関係について

商法ならびに火災保険普通保険約款における火災と損害との因果関係および地震免責条項における地震と火災との因果関係については、相当因果関係の存在を必要とし、かつこれをもつて足ると解されている。

相当因果関係が存在するとは、先行事象である原因と後行事象である結果との間に直接的因果関係が存する場合のみならず、間接的因果関係であつても先行事象たる原因が後行事象たる結果に対して適当条件すなわち当該原因が結果発生の不可欠要件をなすばかりでなく、一般的にいつても同様の結果を発生しうる可能性を有する場合には因果関係ありということである。

これを地震免責条項について詳言すれば、地震に因つて直接に火源が作出されあるいは既存の火源(地震に因らざる火災を含む。)に地震に因つて直接に可燃物の接触がもたらされた場合たると、地震に因つて間接に火源が作出されあるいは既存の火源に地震に因つて間接に可燃物の接触がもたらされた場合たるとを問わず、地震が「火元の火災」の発生または「延焼火災」の発生(拡延)に対して適当条件をなせば、地震と当該火災との間には因果関係が認められ、保険者はその損害てん補の責めを免れることになるものである。地震免責条項が「原因が直接であると間接であるとを問わず」と規定したのは、この理を明らかにしたものにほかならない。

二  本件第二火災と地震との因果関係について

1  新潟地震による被害状況の概要

(一) 昭和三九年六月一六日午後一時二分頃、新潟県北部西方沖、粟島の南方付近を震源地とする大地震(マグネチユードM七・七、新潟市を中心に震度五~六)が発生し、このため、新潟市内各所に家屋の倒壊、傾斜等が続出し、道路の亀裂、陥没、地下水の噴出による大量の土砂の流出、橋梁の破壊落下、港湾河川岸壁の決壊などが発生し、電気水道ガス通信その他の諸施設も甚大な損害を受けた。これがため、数日間消防を不能ならしめた。

(二) 地震に伴い、同日午後一時三五分を第一波として津波が約三〇分間隔で十数波襲来し、とくに午後二時三三分の第三波は、その高さ一・八〇メートル(新潟地方気象台正面-信濃川河口より五・三キロメートル上流-での験測)にも達し、これがため海抜零メートル地帯は護岸の決壊、多量の地下水の噴出と相まつて膝上に達する浸水状態となり、その地域は後記第二火災の出火場所を含む広大な範囲に及んだ。

(三) 地震と同時に市内四か所から火災が炎上したが、うち三か所(昭和石油、成沢石油、日東紡倉庫付近道路上)は石油類に起因する火災で一瞬にして黒煙は天を覆い、市内の地震被害とともに悽惨な状況を呈した。

2  第一火災の出火状況について

新潟市沼垂四九一四番地に所在する原告昭和石油(以下「昭石」と略称する。)新潟製油所の新工場には、原油タンク五基(三万キロリツトル入三基、四万五、〇〇〇キロリツトル入二基)があり、地震による地盤沈下のための傾斜および地震波の反射によるタンク浮屋根の浮遊上下動に原因し、原油の溢流と同時に発火し(以下「第一火災」という。)、原油タンクならびにタンクヤードは瞬時にして一面の火に包まれ、炎の幅は百数十メートルにも達し天に冲する黒煙を上げて六月末頃まで燃え続けた。

3  第二火災の出火状況について

(一) 昭石新工場と約一五〇メートルをへだてて隣接する訴外三菱金属鉱業株式会社新潟第一工場(以下「三菱金属工場」という。)ならびに新潟アスフアルト工業の工場を含む(同会社は昭石の関係会社であり三菱金属工場と境を接し昭石旧工場の一施設たる観を呈していた。)昭石旧工場一帯は同旧工場の事務所付近の一部を除き海抜零メートル地帯で、地震と同時に多量の地下水が噴出し、次いで堤防の決壊と津波による海水の流入もあつて右の両工場全域に浸水があり、その浸水は火災発生当時深さ六〇センチメートルに達していた。

(二) 昭石旧工場構内(別紙第一図面中(D)地区)には東北部に原油タンク四基、その西側に常滅圧連続蒸溜装置と半製品の灯油、軽油、潤滑油等を入れる一九基のタンク群、さらにその西隣りに第一、第二常圧連続蒸溜装置(トツピング・プラント)と灯油、軽油類用のタンク一六基が所在し、また東南部にガソリン、航空機用燃料などの揮発油類を入れる一〇基(このうちの一基が三三号タンク)のタンク群が、また西部には原油および残油用のタンク各一基があるほか、南方の鉄道線路沿いに大小合わせて二九九基のタンク群および貨車積用設備が存した。さらにその南方(別紙第一図面中、(B)地区および(E)地区)には巨大な原油、重油タンク群が存在していた。

(三) 地震と同時に昭石旧工場の数多くのタンク類をはじめ配管、防油堤その他の諸施設は傾斜、亀裂、破損等の被害を被り、これがため各所から石油類が溢流漏出した。とくに前記(D)地区にはガソリン、ジエツト燃料のタンク、貨車積などの設備があつたので、これらから漸次流出した揮発燃焼性の軽質油類が前示浸水面に拡散浮遊し、時の経過とともに浮遊油は増大、気化し、なんらかの火源があればたちまちこれに引火して爆発的な火災を誘発するきわめて危険な状況にあつた。

原告らは、地震によつて破壊され石油の溢流した昭石旧工場のタンクは三三号ガソリンタンク一基のみであり、またその流出量は約六五〇キロリツトルであると主張するが、同タンクのほか、数多くのタンクないし諸施設から流出した多量の軽質および重質油は昭石旧工場のほぼ全域をおおつたものである。

また原告らは、浮遊油は時の経過とともに気化し、風にのつて空中に飛散していき第二火災発生時までには相当部分が蒸発飛散し、残油は重質化して容易に引火し難い状況にあつたというが、ガソリンはその性質上、全部気化し、残油が重質化するなどということはない。

(四) 第二火災は、こうした状況のもとで、当日午後六時頃、後記発火場所において突如爆発音とともに火炎が立ち上つて出火し、またたくまに発火場所付近は一面の火の海と化したものである(以下「第二火災」という。)すなわち、

(1)  出火場所付近から薄茶色の一条の煙が新潟アスフアルト工場の建物の屋根よりも高く立ちあがつたと見る間に(この間一〇秒以内)爆発音とともに青白い火炎が上昇した。

6  以上の摘示によつて明らかなごとく、本件保険の目的を焼燬した火災の適当条件は、火源が何であつたかの問題ではなく、昭石旧工場と三菱金属工場との構内にまたがり油類を流出・拡散・浮遊せしめたもの、すなわち地震であるといわなければならない。けだし地震がなかつたとすれば浮遊油は生じなかつたのであるから、仮に原告の主張するがごとき三菱金属工場の事務所付近で火災が先行していた事実があつたとしても、その火災は本件保険の目的である昭石旧工場には及ぶことなく本件延焼火災は起らないですんだものであるからである。

三  本件第二火災の火元の火災は地震に因つて生じたものである。

右に述べたごとく第二火災は、地震に因つて昭石旧工場の石油タンクが破壊し多量の石油が流出浮遊したその気化油に引火したのであるから、地震に因る火災たること明白であるが、仮に地震免責条項の解釈として、火元の火災が地震に因つて生じたものであることを要するとしても、本件第二火災の火元の火災は地震に因つて生じたものであるから、被告らはてん補の責めを免れる。

1  本件第二火災の出火時における前記爆発発火の火源については左記四つの有力な説があり、いずれも十分な可能性があるのであつて、したがつてそのいずれによるにせよ、第二火災の火元の火災は地震に因つて生じたものというべきである。

(一) 当時第一火災の火勢は猛烈をきわめ、数個の巨大なタンクの石油は天に冲する黒煙を上げて燃え続けていた。したがつて、前示気化状態の油類が第一火災を引火し、あるいは第一火災の火の粉の飛来によつて第二火点の浮遊油が引火した。

(二) 昭石旧工場、新潟アスフアルト工場ならびに三菱金属工場にそれぞれ設置されていた各種加熱炉(焼結炉を含む。)は、地震発生時まで稼動をつづけ、非常な高温を保つていた。したがつて、その余熱が前示気化状態にあつた油を発火せしめる役割を果たした。

(三) 三菱金属工場の第三資材倉庫内には鉄カルボニル、ニツケルカルボニル等の危険物とともに約九〇トンの海綿鉄粉が紙袋入にてコンクリート敷の床上に木製パネルを敷並べてその上に積重ねて貯蔵されていたが、これらのうち海綿鉄粉は地震により浸水した水と作用することにより時間の経過とともに自然発火した。

(四) 三菱金属工場の大手焼結室に設置されていた焼結炉は炉内に高温の水素ガスが外気圧より高圧になるように充満されていた。しかるに地震のため水素ガスの供給が止まり炉内の圧力が逐次低下したため、炉の製品取出口などの隙間から空気が侵入して水素ガスが爆発発火した。

2  ことに、三菱金属第三資材倉庫内に格納されていた約九〇トンの海綿鉄粉その他の金属粉が侵入した水(海水)および酸素(空気)と作用することにより漸次発熱して発火し、発熱に伴い発生した水素その他の可燃性ガス(気化油を含む。)に引火して爆発発火を惹起するに至つた公算が大である(前記四つの説のうち(三)の説)。すなわち、第二火災の発火自体も地震(浸水)に因つて火源が作出され、しかもこれに地震に因つて可燃物(油)の接触がもたらされて生じた火災すなわち地震に因つて生じた火元の火災たることまことに明らかである。

(一) 海綿鉄粉の格納状況と浸水状況について

(1)  当時三菱金属工場第三資材倉庫内にはヘガネス社製海綿鉄粉(MH一〇〇-二四、メツシユ一〇〇~二〇〇)が約九〇トン格納されていた。右鉄粉はいずれもクラフト紙製の紙袋に五〇キログラムあて袋詰め(一袋の縦約六三センチメートル、横約三二・五センチメートル、高さ約一〇センチメートル)になつており、約一、八〇〇袋(90,000kg÷50kg)が倉庫内の二か所の床上に段積みされていた。

倉庫内の床は、格納物品の性質上、大部分コンクリート張になつていた模様であるが、鉄粉袋はコンクリートの床に直接段積みされていたのではなく、湿気を防ぐなどのためコンクリート床に木製パネル(縦約一・五メートル、横約一メートル、高さ約一〇センチメートル)の床板を敷並べ、この上に段積みされていたものである。

(2)  鉄粉袋が何段積みになつていたかは現在のところ判然としない。第三資材倉庫は、南北約三七・六メートル、東西約一四・二メートルの木造瓦葺平家建である。格納物品の占める床面積をこの配置図から推計して鉄粉袋の段数を算出することは困難であるが、五〇トンの鉄粉袋の性状からして、平均しておおむね一二段~一五段積み(一袋の平面積は約〇・二平方メートル、一二段積みの場合の床面積は1,800袋÷12段=150袋×0.2平方メートル、一五段積みのそれは1,800袋÷15段=120袋×0.2平方メートル=24平方メートルとなる。)であり、したがつて鉄粉袋の高さは地上約一・三メートル~一・六メートル(一袋の高さ約一〇センチメートル×段数十床高約一〇センチメートル)程度であつたと考えられる。一方この付近の浸水の深さは約四〇~五〇センチメートルであるから、地震による陥没を考慮しても鉄粉袋が完全に水没していた状態ではなかつた。

(3)  鉄粉袋は、昭和三九年当時はクラフト紙一二枚重ねで外側より二枚目、八枚目および一二枚目が防水加工してあるもので、開口部は内側六枚は袋の口を折りたたみ、外側六枚は袋の口をしぼつて針金をひねつて止め底部は六枚あて折りまげてホチキス止め、側部は片側糊付けになつていたものであるが、昭和四一年末頃から紙質や防水加工が改善されたもののごとく、クラフト紙八枚重ねで外側から四枚目および八枚目が防水加工されたものに変つたが、その他の点では従前のものと変りはない。

被告らは、右のように改善された鉄粉袋について浸水実験を試みたところ、三時間の水漬けによつて開口部および底部から容易に浸水し、中央部のほぼ三分の一を残して開口部に近いほぼ三分の一および底部に近いほぼ三分の一は湿潤し鉄粉が塊状に凝固することが明らかとなつた。

(4)  また、第三資材倉庫付近は、地震直後に地下水の湧出によつて浸水したが、湧出した地下水は海岸線に近い地理的状況からみて海水に近いものと考えられ、また当日午後二時半頃以降は海水の侵入したことが明らかであるから、鉄粉に作用した水は海水ないし海水に近い性質をもつた水と考えられる。

(二) 鉄粉と水(海水)および酸素(空気)との反応について

(1)  鉄と水とが反応した場合その反応式は左のとおりであると一般にいわれている。

Fe+(4/3)H2O→(1/3)Fe3O4+(4/3)H2

この反応式における反応熱の発熱量は常温(25℃)でFe一モル当り一一・九キロカロリーと熱力学上計算され、この反応熱が生成した酸化鉄Fe3O4粒子に全部蓄積すると仮定すれば、その計算上の温度は756℃にも達する。

また鉄と酸素との反応式

Fe+(3/4)O2→(1/2)Fe2O3

における反応熱の発熱量の熱力学上の計算値はFe一モル当り九七・六キロカロリーであり、これが右同様生成した酸化鉄Fe2O3粒子に蓄熱すれば3,000℃近くにも達すると計算される。

(2)  鉄の発火温度は、鉄が粉状のときは比較的低く鉄粉の種類により温度を異にするが、本件ヘガネス社製海綿鉄粉MH一〇〇―二四の空気中における発火温度は440℃と測定されており、しかもこれに一〇%の蒸溜水を混入するときは404℃また一〇%の海水を混入した場合には327℃と発火温度が低下することが実験の結果明らかにされている。

(3)  空気中で鉄粉に水が接触した場合、前記反応式から明らかなように、酸化反応により酸素の消費および水素の発生が予想されるが、この酸化反応は温度上昇に伴い著しく促進され、また蒸溜水よりも海水の方が反応が活発で、一般に安定といわれるヘガネス鉄粉も前記のとおり海水または水によつて不安定となり、空気の存在下にヘガネス鉄粉一Kgに五〇gの海水を加えた実験では、鉄粉はわずか数分間で60~70℃になり、二時間半足らずのうちに自然発熱によつて鉄粉は発火温度を越えて600℃以上に上昇した結果が学界誌に報告されている。

(三) 鉄粉の発火性に関する実験について

被告らは本件ヘガネス鉄粉につき、海水が介在したときの発火温度、自然発熱に対して空気量、海水量および水蒸気の及ぼす影響さらに自然発熱による発火現象について各種の実験を横浜国立大学工学部に依嘱した。その結果を要約すれば、

(1)  海水を含んだ鉄粉の発火温度は鉄粉の量がグラム程度では200~300℃、2~5kgで180~240℃、20kg程度になると150~200℃と低下し(発火温度が低下すれば発火し易くなる)、しかも鉄粉塊中の温度分布は中央部ほど高温である。

(2)  最高検出温度を比較すると1kgで138℃、3kgで158℃、5kgで172℃と鉄粉量の増大にしたがつて温度は上昇し、さらに鉄粉量を増大すると17kgで500℃、31kgで1100℃、51kgで940℃となり鉄粉は発火した。

(3)  自然発火のプロセスは、海水を湿潤させた鉄粉に空気を供給すると酸化反応熱によつて100℃付近まで上昇するが、水分の蒸発によつてしばらくこの温度で平衡を保ち、水分がなくなると再び温度が上昇し、このとき水蒸気の供給があれば、ほとんど空気中の酸素を消費せず、水蒸気の酸素と反応して水素を発生しながら、さらに昇温し鉄粉の発火温度になれば急激な温度上昇がみられ発火に至るものである。

(4)  また、油類が存在すると鉄粉の発火温度は著しく低下し、鉄粉の自然発火に油類の存在が大きく寄与することも明確に認められた。

(四) 自然発火の条件-第三資材倉庫内の海綿鉄粉の自然発火-について

現実に自然発火が起るためには、反応物質が熱の蓄積に良好な状況におかれてあることが必要で、たとえば反応物質が静止した空気に取り囲まれている場合-室内の堆積物や粉末状物質-とか断熱物質で包まれている場合-大量集積物の中心部-等は自然発火に好都合な状況である。また自然発火するためには酸素の供給が必要であるので、結局、粉末状のごとく内部に多量の空気を包蔵するものが室内に大量集積されている場合は、自然発火の起る可能性がきわめて大きいこととなる。

したがつて、前記のごとき第三資材倉庫内の大量の海綿鉄粉袋の集積の下部に浸水があれば浸水面に接する部分ないしそれに近い水面上の適当の湿気を帯びた部分の鉄粉が海水および酸素と反応し、その反応熱は集積の中心部に近い部分(それは必ずしも一個所に限らない。)に蓄積され、温度の上昇に伴い反応は加速拡大され、ついに自然発火するに至つたものと推断されるのである。そして鉄粉が一度自然発火すれば溶融状態になるような温度(約1,500℃)まで達することは十分予想されるところであり、現にそのような事故例が存するのである。

(五) 出火前の一条の煙について

第二火災の出火直前に消防署員二名が昭石の事務所附近で第二火災の出火場所と推定される方向に、薄茶色の白みがかつた煙が立ち上るのを目撃し、約一〇秒位の間に爆発音を聞き退避した由であるが、前記のごとく海綿鉄粉の自然発熱に伴い、これに接触している紙、床板等可燃物の燻焼は当然起り得るがゆえに時間の経過とともに出火前にこれらの燻焼により発生したガス類が倉庫の開口部から外部に煙のごとく流出しても少しも不思議ではなく、むしろ海綿鉄粉の自然発熱、自然発火を裏づける事実ですらあるのである。

(六) 出火時の爆発的現象について

第二火災の出火時に爆発的現象の存したことは多くの目撃者の語るところである。右の爆発的現象の生じた理由としては、前記火源となつた海綿鉄粉が浸水面に浮遊する気化油、あるいは海綿鉄粉の自然発熱に伴い発生した水素その他の可燃性ガスに引火したことによつて生じたものとも考えられるが、さらには自然発火し溶融する程の高温に達している海綿鉄粉塊が荷崩れや床板の燻焼欠損などのため崩落して急激に浸水面や床下の水等と接触したことにより水蒸気爆発(水蒸気爆発とは水-液体-が突然高温の水蒸気-気体-に変化する際に発現する激しい破壊作用をいう)を起したものではないかとも考えられる。いずれにしても出火時の爆発的現象は前記火源を推断する上になんら妨げとなるものではない。なお、ガソリンその他の石油系可燃性ガス、液体、水素、紙、木材の発火温度は別紙被告準備書面<省略>(第七回)のとおりである。

四  第二火災の出火原因として失火放火を考慮する余地はない。

第二火災出火時の状況に関する前述の事実を綜合して考えるとき、第二火災出火時の状況が、その規模のいかに大きくかつ物凄いものであつたかは明らかである。しかもその事態はことごとく地震のもたらした異常状況に促されて発生したものであり、その間、失火、放火のごとき人為的な原因の介在を認むべき余地は全くなかつたものである。

なお原告らは、同日午後四時以降は人々は平静を取戻し職場を護るため工場にも相当数の者が帰つていた。したがつて、これらの者が火を扱い、火を放ち、火を失する時間と機会はあつたとして、第二火災の発生原因中から失火、放火の人為的原因の存在を除外することを得ない旨を述べているが、しかし、仕事につくため工場に戻つてきた従業員があるということは考えられない。その帰つてきたという者の大部分は野宿に備えるため身のまわり品を取り出すために自宅に戻つてきたという事実であるにすぎないのである。また実際問題として、出火直前頃の現場付近の状況は人が安閑として対話などしていられるような状態ではなく、さらに一度発火すれば昭石旧工場は全滅を免れぬとの危険を人々は感じていたのである。かかる状況下においては、失火などの行なわれるはずがないと見るのはむしろ常識というべきであろう。原告らは「白い煙」を云々し、前記一条の煙を捉えて失火もしくは放火によつて発生した火災の煙にほかならないと主要するもののごとくであるが、仮に何人かが失火、放火したことにより第二火災が発生したものとするならば、前述の第二火災出火時の物凄い爆発的発火の状況下において、その失火、放火者が無事であるべきはずはない。しかるに第二火災の現場からは一人の死傷者も出ていないのである。

以上の事実に徴すれば、本件第二火災の出火原因として失火、放火の可能性を云々することのいかに不合理であるかは多くをいわずして明らかであるというべきである。

第五被告らの抗弁に対する原告らの答弁および反論

被告らの抗弁事実のうち、本件契約の内容をなす火災保険普通保険約款五条一項とその八号ならびに組立保険普通保険約款六条一項三号に被告ら主張の免責の規定があることは、これを認める。しかし、本件が右規定に該当し、本件損害につき被告らがてん補の責めを免れる旨の主張は、これを争う。

一  地震約款(地震免責条項)の意義について

1  地震約款が設けられた趣旨と約款解釈について

商法六六五条は、「火災ニ因リテ生シタル損害ハ其火災ノ原因如何ヲ問ハス保険者之ヲ填補スル責ニ任ス」と規定し、保険者が原因のいかんにかかわらず火災による損害をてん補する義務のあることを明示している。したがつて、保険者は地震火災に関してそのてん補責任を免れるためには、その旨約款に定めなければならず、またはこれを定めた場合でも約款に定めた限度で免責されるにすぎないものである。

保険者が地震約款を設ける趣旨が、一般的にいつて、地震による火災発生の頻度や損害額がその性質上平均性を欠くため蓋然性の測定、したがつて保険料率の測定が困難となる点にあることは認められる。しかしながら、具体的な場合に地震の際のどのような火災損害がどの範囲で免責されているかは、地震約款の規定の仕方によつて異なつてくるのであり、地震約款設定の一般的目的から直ちにこれを確定することはできない。たとえば、地震約款が設けられたとしても、地震の際に地震とは関係なく発生した火災の損害についてまで保険者が免責されるとは通常いえないのであり、約款において、地震によつて生じた火災のみならずさらに地震に伴う諸種の状況をも配慮してこれらの場合における火災損害についての免責を規定することによつてはじめてこれが可能となるのである。したがつて、免責される地震による火災損害の範囲は具体的な約款解釈によつてのみ決せられるべきものである。

2  火災保険普通保険約款における地震約款

わが国では、国内の火災保険約款は統一せられており、各保険会社が同一の「火災保険普通保険約款」なる約款を使用しているので、そのため、あたかもこの約款中の地震約款が唯一の形態であるかのごとき印象を与えている。しかしながら、外国においては種々様々な地震約款があるのであり、また日本でも外国人との間に契約を締結する際に用いられるUniform Policy Conditions(Foreign)においては右約款とは全然別個のきわめて詳細な規定が置かれている。従来の諸国の地震約款を大別すると、地震と火災との間に因果関係を要するとする因果主義によるもの、地震の起つた時に発生する火災は皆これに起因するものと推定する推定主義によるもの、建物の倒れた時をもつて保険者の責任が終了するという倒壊主義によるものに分類できる。

火災保険普通保険約款五条一項八号の地震約款(以下この項において「本地震約款」という。)は因果主義によるものであり、この主義の下においては、保険者においてその責任を免れるためには地震と火災の発生との間に因果関係のあることを立証しなければならないのである。これに対し、前記Uniform Policy Conditions(Foreign)においては、非常事態における火災損害について免責されることならびに火災が非常事態の存在と独立に発生した旨の立証責任は保険契約者にあることを定めて(五条)推定主義をとるとともに、保険の目的たる建物の全部または一部が倒壊するときは契約は効力を失うとする倒壊主義をも採用している(四条)。

保険者に地震と火災との因果関係について厳格な立証責任を課している本地震約款は、古く明治年間からわが国において広く採用されてきたが、かつて保険者はかかる厳格な責任を免れるとともにより広範囲の免責を容易に得られるようにするため、その改正を企てた。すなわち、大日本聯合火災保険協会が作成した昭和一〇年七月九日付の火災保険普通保険約款案および昭和一三年二月一七日付の同修正案においては、「地震、噴火……ニ因リテ直接又ハ間接ニ生シタル損害並ニ上記ノ天災事変……ニ基ク非常事態中ニ生シタル損害」につき、保険者は免責される旨規定し、かつ「但争アルトキハ被保険者ニ於テ損害カ本号ノ天災事変ニ因リ又ハ本号ノ非常事態中ニ生シタルモノニ非サルコトヲ証明スルコトヲ要ス」と規定して立証責任を転換したうえ、この改正案を認可のため監督官庁たる商工省に提出した。しかるに、この改正案は監督官庁の是認するところとならず、かかる広範囲の免責を意図する右約款の改正は実現しなかつたのである。

かくて、現行の本地震約款は従来どおり保険者において地震と火災の発生との間の厳格な因果関係の立証を必要としているのである。

3  本地震約款における「地震に因つて生じた火災及びその延焼」の意義について

(一) 本地震約款は、「原因が直接であると間接であるとを問わず地震……に因つて生じた火災及びその延焼その他の損害」に対しては保険者に責任がない旨規定しているが、本地震約款における「延焼」とは、「原因が直接であると間接であるとを問わず、地震……に因つて生じた火災」の「延焼」を意味することは疑いないというべきである。

(二) 文理解釈によれば、本地震約款では「その延焼」と定めているのであるから、ここにいう「その」とは延焼の直前にある「地震に因つて生じた火災」を意味することは明らかである。また、全体的構文からしても「原因が直接であると間接であるとを問わず」という文言が「延焼」と「その他の損害」をそれぞれ修飾するものとは考えられない。けだし、「その他の損害」とは普通保険約款一条二項の規定に基づきてん補されるべき消防または避難に必要な処置によつて生じた損害も地震火災の場合には免責される旨を規定するために設けられたと解すべきであるから、これに「原因が直接であると間接であるとを問わず」という修飾語がつくことはありえない。

(三) なお、被告らは、普通保険約款一条にいう火災が「火元の火災」と「延焼火災」とを含むゆえに、本地震約款の火災も「火元の火災」と「延焼火災」とを含み、それゆえ同約款の「その延焼」とは、「火元の火災」の延焼および「延焼火災」の延焼の両者を含むと強弁する。

しかしながら、普通保険約款一条は、保険の目的につき火災によつて損害を生じた場合における保険者のてん補責任を規定しているのであり、ここでは損害の原因が火災であるか否かのみが問題とされているのであつて、火災の発生原因のいかんを問うものではない。したがつてこの規定の下では火災が火元の火災か延焼かを論ずる意味が全く存しない。これに対して本地震約款においては火災の発生原因が地震か否かが問題となつており、発生原因に関連しているからこそ「火災」と「延焼」の各概念を区別する意義がある。したがつて一条の「火災」と本地震約款の「火災」とを同一視すべきではない。

被告らのごとく本地震約款における「火災」に「火元の火災」と「延焼火災」とを含むと解釈することは、発生原因に関連してことさらに火災と延焼とを区別して規定した趣旨を全く無意味ならしめる結果となる。ここでは「延焼」とは火元の火災が拡大した状態を指し、火災とはこの延焼の元となつた火元の火災を指すと見るのが規定の趣旨からしても形態からしても最も妥当な解釈である。

保険約款の解釈に際しては、保険証券の字句は通常の意味において理解されなければならず、可能な限りにおいて契約書の一言一句に効果を与えなければならない。また保険証券上の語句のあいまいなときは、その作成者たる保険者の不利益に解釈されるべきである。右保険約款解釈の原則からしても、被告が本地震約款中の火災と延焼との区別を無意味ならしめるような解釈を行なうことは全く牽強附会といわざるを得ない。

(四) 実質的に考えても、本地震約款において火災と延焼との概念を区別し、保険者が免責されるべき延焼の範囲を火元火災の延焼に限定したことには充分な理由がある。すなわち、地震の際においても火災は地震とは無関係に起り得るものであり、また、それが延焼する可能性は常に存在する。もし地震によらないことが明瞭な火災(たとえば地震前の火災)が偶々地震の際に延焼した場合、どこまでが地震によらない火災であり、どこからが地震による延焼であるかを識別することはきわめて困難であり、その判断が恣意的になるおそれが大きい。もし前述の改正案のごとく「地震……ニ基ク非常事態中ニ生シタル損害」という定め方をすれば地震の際の延焼についても免責されるとの解釈が可能であろうが、現行約款において右のような解釈をとることはできない。

また、火元の火災が地震によらない場合に、その延焼について、ある者は損害のてん補を受け、他の者は、その損害のてん補を受けないとすれば甚だ不合理な結果となる。

(五) これを要するに、当該目的物を焼燬した火災についてこれが地震によつて生じた火元の火災かあるいはその延焼であれば保険者免責となるが、そうでない場合、すなわち火元の火災が地震によらない場合にはたとえ延焼に地震が何らかの形で作用したとしても保険者はその火災の損害につき免責されるものではない。

4  地震と火災との因果関係について

保険約款における因果関係もまた約款解釈と離れては存在しえない。火災保険普通保険約款一条における火災によつて目的物に生じた損害という場合の因果関係は火災と損害との間の問題であるが、本地震約款における因果関係は、地震と火災との間の問題である。そしてこの場合の火災とは延焼を含まず火元の火災を意味し、また地震とは地震という物理的現象そのものを指し、地震そのものによつて惹起した諸種の状況を包含するものではない。けだし、もしかかる状況をも包含しようとするのであれば前述の改正案のごとく規定すべきであつたからである。

そして、いかなる場合に地震によつて直接または間接に火災が生じたかについては、「直接」とは、たとえば火力を用いつつある場合にその上に建物が倒壊して火災を生ずるとか、震動によつて灯火が墜落して火災を生ずるような場合を指し、「間接」とは、薬品等発火性のものが震動のため摩擦を起し、あるいは飛散して発火したような場合を指すとされている。ここでは物理的現象たる「地震」と火元の「火災」との間の因果関係が問題とされ、かかる原因によらずして生じた火災の拡大すなわち延焼について地震または地震によつてもたらされた状況が何らかの影響を与えた場合を含むものではない。

二  本件第二火災と地震との因果関係について

1  新潟地震による被害状況の概要について

(一) 抗弁二1(一)の事実は認める。ただし、数日間消防を不能ならしめたという事実はこれを争う。

(二) 同(二)の事実は認める。ただし、津波は一二波あり、午後二時三三分の第三波は最高波で、これを峠としてその後次第に低弱化したものである。また、海岸地帯における津波高はさしたるものでなく、かつ護岸の欠壊は一部で、浸水も部分的であり、浸水箇所の深さも約五十センチメートル以下であつた。

(三) 同(三)の事実は争う。地震直後に発生した火災は市内八か所であり、被告ら主張の三か所の火災は石油類に関係した火災である。一瞬にして黒煙天を覆うたものではなく、かかる修飾語は適当でない。

2  第一火災の出火状況について

抗弁二2の事実は、大略これを認める。ただし、発火したのは、一一〇三号原油タンク(容量三万キロリツトル)一基である。原油タンクならびにタンクヤードが瞬時にして一面の火に包まれたとか、天に冲する黒煙を上げたとかの修飾語は適当でない。

3  第二火災の出火状況について

(一) 抗弁二3(一)のうち、昭石新工場、三菱金属工場、昭石旧工場および新潟アスフアルト工場の位置に関する事実は、これを認める。ただし、昭石新工場と三菱金属工場の各敷地は隣接せず、その間は砂丘となり、ここに数百戸の平和町社宅群および民家群が介在しており、また両敷地間の至近距離は約一八〇メートルである。浸水状況に関する事実は、これを争う。昭石旧工場敷地の海岸寄りの一部に海抜零メートル地帯があつたが、昭石事務所付近はもちろん、その他被告ら主張の全地域がそうであつたわけではなく、また、この地帯に堤防の決壊はなく、浸水は部分的であつて、浸水箇所の深さも第二火災発生当時一様であつたものではない。

(二) 同(二)の昭石旧工場構内におけるタンク等の存在の事実はこれを認める。

(三) 同(三)の流出した石油類およびその拡散状況に関する主張事実はこれを争う。

(1)  地震によつて破壊されて石油の流出した昭石旧工場のタンクは三三号ガソリンタンク一基である。このタンクのパイプと側板との接続部が折損し、約六五〇キロリツトルの油が流出し、このうち防油壁から洩れたものが昭石旧工場、新潟アスフアルト工場および三菱金属工場に跨つて浸水した水面の相当範囲にわたつて拡散したものである。これ以外のタンク、施設に関しては、亀裂、パイプの破損等の事故はほとんどなく、また、地震直後バルブを閉めるなどの応急措置が採られたものもあり、それらのタンク、施設から前記水面上に流出していつた油類があつたとしても微々たるものにすぎなかつた。

(2)  被告らは、ガソリンはその性質上、全部気化し、残油が重質化するなどということはないと主張する。確かにガソリンが全部気化すれば残油はそもそもありえない。しかし、本件の状況において第二火災発生までに流出したガソリンはその相当量が気化四散したため、水面上に残存する油はガソリンの軽質部分が気化して重質部分のものとなつたのである。当日の気象条件(風速毎秒四メートル、気温二〇度)の下において、水面上に拡散浮遊したガソリンは、地震発生後五時間を経過した午後六時頃には、その大部分が蒸発し空中に飛散し去つたのである。ガソリンは軽い成分から重い成分まで蒸発度を異にする多種の炭化水素の混合物から成る。したがつてこのガソリンが蒸発する場合、性質上必ずこれを構成する炭化水素のうちまず軽い成分のものから順次蒸発飛散するから、蒸発が継続すれば必然的に残つた油は蒸発しにくいものとなり、その引火点も上昇することは常識である。この残油の状態をとらえて重質化したというのである。このように、時間の経過とともに残油が重質化して油の気化も少なく残油も引火しがたくなり、すでに気化した油は四散してしまつているので、これら気化した油に引火する危険性は午後六時頃の時点においては相当程度減少していた。そのため一旦は避難していた人々も、午後四時頃より三菱金属工場付近に戻つてきており、浸水の中を三菱金属工場内に入つていつた人々もかなりいたのである。それゆえ、被告ら主張のごとく、時の経過とともに浮遊油は増大、気化したという事実はなく、むしろ逆に時の経過とともに浮遊油は気化飛散してその量は減少し、残油は気化しがたくなり、漸次引火の危険性は減少していつたのである。

なお、三菱金属工場より勤務者が退避している間には浸水面上に拡散浮遊している油類には何の発火等の変化も起つていない。右地域に人々が帰つてきてから第二火災が発生したということは、被告らの主張する発火原因によつては決して説明せられ得ないところである。

(四) 同(四)の第二火災の発火の状況に関する事実はこれを否認する。すなわち、のちに述べるように、同日午後六時過ぎ三菱金属工場の事務所付近から白みがかつた煙が立ちのぼつた。これが第二火災の発火である。突如爆発音を伴つて火柱が立ち、火災が発生したのではない。

4  第二火災の出火場所について

抗弁二4の第二火災の出火場所に関する事実はこれを争う。第二火災の出火場所は、三菱金属工場の事務所付近である。

5  第二火災の延焼状況について

抗弁二5の第二火災の延焼に関する事実は、これを争う。ただし、延焼の範囲はこれを認める。

6  抗弁二6の主張を争う。

三  第二火災の出火原因について

1  被告らは、抗弁三1において、第二火災の出火の原因につき四つの有力な説があると主張するが、そのような説はなく、ただそれらの可能性について調査検討された結果、本件においてはいずれもその可能性がないと結論されている事実があるにとどまる。

(一) 第二出火点付近一帯に拡がつた浸水上の油類の気化体が第一火災を引火したのではないかという点については、当然これによつて生ずべき巨大な火炎の流れが見られなかつた事実、中間地帯の社宅群は焼燬せず、また十数人以上の人々が社宅群の北側道路付近にいて何らの被害も受けず、そのうちの何人かは同人らの当時の位置から見て北側にあたる第二出火点の方向に煙の立ちのぼるのを目撃している事実、第二火災は第一火災の出火から約五時間も経過した後に出火した事実等からみて、その可能性はない。

また、第一火災の火の粉の飛来によつて第二出火点の浮遊油が引火したのではないかという点については、第一火災により、燃焼中の物質は原油であり、その付近にあるものは鉄材かコンクリートなどの不燃性材料のみであつて、飛び火の原因となる火の粉を作るものがないばかりでなく、当時の風向きは北々東であつたから、その反対方向にあたる第二出火点の方への飛び火は到底考えられない事実などからみて、その可能性はない。

(二) 昭石旧工場、新潟アスフアルト工場ならびに三菱金属工場にそれぞれ設置されていた各種加熱炉の余熱が気化状態にあつた油を発火せしめる役割を果たしたのではないかという点については、昭石旧工場および新潟アスフアルト工場は出火点からみて問題外であり、また、三菱金属工場の加熱炉はいずれもその熱源が電気で、地震発生と同時に停電により消火されたことが確認されており、炉の温度は時間とともに冷却する一方であつた。したがつて、これらの熱源が地震発生後約五時間も経過した頃になつて出火の原因となつた可能性は考えられない。

(三) 三菱金属工場の資材倉庫内の板張床上に積み重ねて貯蔵されていた紙袋入の海綿鉄粉約九〇トンが地震により浸水した水と作用することにより時間の経過とともに自然発火したのではないかという点については、紙袋入の海綿鉄粉は安定した製品であつてたとえ水に浸してもほとんど発熱しないものであり、自然発火の可能性は全然ない。この点についてはのちに詳しく述べる。

(四) 三菱金属工場の焼結炉が地震のため水素ガスの供給が止まり、炉内の圧力が逐次低下したため、炉の製品取出口などの隙間から空気が侵入して水素ガスが爆発発火したのではないかという点については、炉の熱源は電気であり、地震発生と同時に停電により炉内の火は消え、その後は冷却する一方であつたから、午後六時過ぎになつて突然水素ガスが爆発発火するという可能性もまた到底考えられない。

すなわち、右はいずれも可能性のないことが明白であり、このことは、消防庁の慎重な調査の結果によつても確認されている。したがつて、被告らがそのいずれかによつて引火したものと推認されると主張するのは、誤りである。

ちなみに、のちに四で述べるように、消防庁は、普通の「失火」による出火の可能性を否定できないとの見解を発表している。

2  被告らは、つぎに本件第二火災の発生原因として、三菱金属第三資材倉庫内に格納されていたヘガネス海綿鉄粉(以下本項において「本ヘガネス鉄粉」という。)が、地震のため浸水した水(海水)および空気と作用し、自然発火した公算がきわめて大であると主張する。

しかしながら、原告らの調査によれば、本ヘガネス鉄粉は、水または海水と作用したとしてもわずかしか発熱せず、また大量に存在していてもいわゆる規模効果は生じないので、当時の状況下においてこれが自然発火することはありえないものである。以下その理由について詳述する。

(一) 一般に、鉄粉が空気中の酸素に触れて発火するかどうかは、鉄粉の酸化に伴う発熱の速度が熱の外部への放散の速度を上まわるか否かによつて決定される。そして、発熱の速度が放散速度を上まわる場合には、熱が内部に蓄積し、その結果鉄粉が発火するに至る可能性も理論的には否定できないであろう。

しかし、実際には、(1) 空気中の酸素と鉄粉表面との化学反応の速度は、鉄粉の表面積、表面活性(酸素との反応のしやすさ)、温度、混入物などの諸条件により左右されるので、同じく鉄粉と名づけられるものでもその種類、性質等のいかんによりその間には大差がある。(2) 酸化の結果、表面に酸化被膜が生ずると、この被膜は容易に酸素を通さないから、被膜がなんらかの手段で取り去られない限り、これ以上の酸化は著しく阻害される。(3) 鉄粉が堆積物になつているときには、内部にまで空気中の酸素が十分に補給されないため、酸化は起こりにくくなる。また、(4) 酸化によつて生じた熱の放散についても、鉄粉の置かれた状況によつて、その程度は様々に変化する。したがつて鉄粉は発熱の可能性を持つというものの、現実には鉄粉の種類、物理的化学的性状、それの置かれた諸条件によつて温度上昇の程度が決定されることになる。

(二) 本ヘガネス鉄粉の発火の可能性についてであるが、本ヘガネス鉄粉は、製造時の再加熱による酸化防止処理と酸化被膜の存在のゆえに、その空気中での酸化速度はきわめて遅い。本ヘガネス鉄粉に水または海水を加えた場合には、ある程度酸化速度は増大するが、その酸化の際の発熱量の計算からすると、よほど酸化の速度が早くかつ熱が逃げない条件下でなければ蓄熱しないことが実験上認められている。

(三) ところで、鉄粉が大量に堆積されている場合に熱の蓄積が可能かどうか(規模効果)の点については、大量堆積物の中心では、そこに発生した熱が逃げにくくなるということはあるが、他方、本ヘガネス鉄粉の場合には、粒子が細かく均一なため空気の流通が困難であるのみならず、水に濡れた場合は一層気密性が高まり、空気が堆積物の内部に入りにくくなる。その結果、酸化が起こりにくく、かえつて中心部では蓄熱が生じがたいということが種々の実験によつて確認せられているのである。

一方、外部の空気の流入がなくても、鉄粉の粒子間に存在する空気だけで酸化に十分ではないかとの反論に対しては、鉄粉と水または海水をまぜただけでは温度は大して上昇しないが、これに空気を通し始めると急速に温度上昇を始めることが実験的に確かめられているのであり、鉄粉の発熱のためには外からの空気の供給を必要とすることは疑いのないところである。

したがつて、本ヘガネス鉄粉が大量に存在していても、空気の存在が十分でないために、被告の主張する中心部での蓄熱は生じがたく、いわゆる規模効果は無視できるのである。

実験の結果によると、空気中で(酸素を供給した実験例は単に参考としての意味を持つにすぎない。)、常温(摂氏二〇~三〇度)で海水を添加した場合には、表面近くでたかだか摂氏六〇~七〇度の温度上昇が見られるにすぎない。したがつて、空気中で、鉄粉の酸化速度が著しく高くなる摂氏二五〇度程度にまで温度を上昇させることは不可能である。

つぎに、実験で鉄粉に空気を流通させると、温度上昇はその初期では急速に起るが、比較的短時間に温度は下降を始める。これは空気の補給の必要性を示すとともに、酸化被膜の生成が引き続いた酸化をかなり妨害する結果として、放熱の方が打ち勝つて冷却することを示しているのである。この理は海水の存在下においても同様である。

したがつて本ヘガネス鉄粉は、たとえ海水と共存しかつ大量に存在しているとしても、空気中で発火することは考えられない。

(2)  その爆発音は腹に響くような無気味なものであつた。また、火炎は三菱金属工場の鋸型屋根よりも高く上昇し、その屋根に沿つて、たなびくように昭石旧工場の方向に流れた。

(3)  出火と同時に爆風を生じ、現場より百数十メートルをへだてた平和町所在の民家の窓ガラスを吹き飛ばした。

(4)  上昇した青白い火炎に次いで黒みがかつた煙が生じ数十秒後には一面火の海となり、巨大な真黒な煙が地をおおい、物凄い油火災の様相を呈した。

4  第二火災の出火場所について

第二火災の出火場所は、新潟アスフアルト工場と三菱金属工場との境界付近であり、昭石旧工場の東北部に所在する三三号ガソリンスタンド付近から新潟アスフアルト工場をはさんで三菱金属工場の大手焼結室までの範囲である。右の地域内には被告ら主張の火源に関係ある施設物として三菱金属工場の大手焼結室(焼結炉二基)、接点室(酸化炉二基)、第三資材倉庫(海綿鉄粉その他)および新潟アスフアルト工場建物(重油バーナー七個)が存する。原告らが発火地点として主張する三菱金属工場の事務所建物は接近はしているが右地域からはずれている。

そして、これをより正確にいえば、出火直後の航空写真および種々の焼跡写真から判読される延焼経路、延焼拡大経路の分岐部分、すなわち三菱金属工場第三資材倉庫の中央より西北寄り付近である。

5  第二火災の延焼状況について

このようにして出火した第二火災の火炎はまたたく間に浮遊油を伝い燃え拡がつたため消防も手の施しようのない勢いでたちまちのうちに新潟アスフアルト工場ならびに三菱金属工場を焼尽し、さらに火勢は昭石旧工場北部全般にわたる火災に拡大し、一七日未明には鉄道引込線を越えて南部の石油タンクおよび施設に延焼し、さらに冠水水没の状態にあつた運河と称する水溜りを越えて延焼は拡大し、同八時頃、運河西方のタンク群を誘爆炎上せしめ、黒煙は天を覆い、その火炎は第一火災を凌ぎ猛烈な勢いで同一五時頃までの間に本件保険の目的の全部または一部を焼燬するに至つたものである。

(四) 被告らは、ヘガネス鉄粉の発火傾向に関し、

(1)  鉄と水との反応式による反応熱の理論的計算を試みているが、ここに得られた値は、単に理想状態における計算上の発熱量であつて、現実の温度上昇度とは全く関係のないところで、なんら参考とはならない。すなわち、鉄が酸化して酸化鉄になる場合の反応式において反応熱として文献で報告されている値は、鉄が一〇〇%反応して酸化鉄となる場合の発生熱量であつて、実際にはいかに比表面積の大きい鉄粉の場合も粒子の内部までは反応しないものである。また、発生する熱量と鉄の比熱から計算上の温度上昇を推定することは、伝導などによる放熱が全くなく、発生熱量全部が鉄粉の温度上昇にのみ使われうるという理想的な仮定の上に立つた単なる計算にすぎない。

(2)  被告らは、空気の存在下に本ヘガネス鉄粉一キログラムに五〇グラムの海水を加えた実験では、鉄粉がわずか数分間に摂氏六〇~七〇度になり、二時間半足らずのうちに自然発熱によつて鉄粉は発火温度を越えて摂氏六〇〇度以上に上昇した結果が学界誌に報告されているというが、右学界誌によれば、「ヘガネス鉄粉一キログラムに五〇グラムの海水を加えて反応容器に入れ、最初は酸素を送り込み、鉄粉が一〇〇度となり水分が蒸発すると過熱した水蒸気を酸素と同時に送り込んだ。また酸素と水蒸気の温度は鉄粉上昇の温度に合せて予熱ヒーターで加熱して、鉄粉温度と同一かあるいはわずかに低くなるようにコントロールした。」と記載され、被告主張のようなことはとうてい導かれない。

すなわち、右実験においては、空気ではなく酸素が送入されており、また、試料の温度が上がるにつれ外側の温度を同程度上げるという方法で熱が逃げない状況(断熱状況)が作りあげられているのである。かような実験がもし理想的に行なわれれば、どんなにわずかな発熱であつてもそれが逃げずにすべて蓄積される結果、最後にきわめて高い温度に達するのである。したがつて、このような断熱実験の結果から判明することは、単に内部で発熱があつたということだけであり、かかる断熱実験の結果から直ちに本ヘガネス鉄粉が発熱し発火することを論証することは、全く誤謬も甚しい。

なお、被告らは、本ヘガネス鉄粉と重量比一〇%の海水との混入の場合に発火温度が摂氏三二七度となる旨述べているが、本件状況のもとにおいて本ヘガネス鉄粉が海水との混入によりこの温度にまで到達することは、前述のように不可能である。

(五) 三菱金属第三資材倉庫内における本ヘガネス鉄粉の発火の可能性について 本ヘガネス鉄粉約九〇トンが、第三資材倉庫内に二か所に分れて堆積されていたこと、および本ヘガネス鉄粉は、五〇キログラム入りの一二枚重ねの紙袋(内三枚は防水加工)に入つていたことは認められる。本ヘガネス鉄粉が水または海水の侵入を受けたとしてもわずかしか発熱しない前記性質は、かような状況下にあつて強まることこそあれ弱まることはない。なぜなら、そもそも本ヘガネス鉄粉の粒子は細かく均一であつて空気の侵入が容易でないため、量が多いということは酸化による温度上昇に対して不利に働いているばかりでなく、本ヘガネス鉄粉が一二枚重ねの紙袋に入つていることは空気の補給をより少なくする効果をもたらしている。加うるに、包装紙に防水加工を施した紙が含まれているため、海水の侵入に対して防御の役目を果たすものであり、もし仮に紙袋が破損していたような場合には、それまでの緩慢な酸化によつて酸化被膜の厚みが大きく広がり、かかる状態の鉄粉が海水にあつても、鉄粉の酸化反応性が低下していると考えられるのである。

したがつて、結局、本件の場合においては、本ヘガネス鉄粉が自然発火する可能性は皆無といつても過言ではないのである。

(六) つぎに、本件における状況は、決して本ヘガネス鉄粉よりの自然発火現象が生じたことを裏づけるものではない。

(1)  出火前の一条の煙について

被告らは、爆発前に薄茶色の白みがかつた煙が発生していたことを認め、これは、海綿鉄粉の自然発熱に伴いこれに接触している紙、床板等可燃物の燻焼のよるものであると推断している。

しかしながら、右の推論は、前提たる本ヘガネス鉄粉の温度上昇が紙、床板等可燃物を燻焼させる程度(約二〇〇度)にまで上がらないこと前述のとおりであるから、成立しえないものである。

また、被告らは、床板等可燃物の燻焼が起りうるというが、第三資材倉庫の床はコンクリートであるので床板はないが、もしこの床板が鉄粉袋の下に置かれてあつた木製パネルを意味するとすれば、これは当時当然水中に没していたと考えられるところ、水中に没した板にいかなる火源が作用しようとも、これを燻焼して煙を発生させるなどということがありえないことは科学上の常識である。したがつて、かかる点からしても、本ヘガネス鉄粉の自然発火と白みがかつた煙の存在は、両立しえないところである。

被告ら主張の本ヘガネス鉄粉の自然発火の可能性が否定されるとき、油類の燃焼によらないでかような白みがかつた煙の存在した事実は、当時昭石構内にも三菱金属構内にも荷物を取りに来る等の目的で人々が立ち帰つており、決して無人の境ではなかつた事実を合わせ考えるとき、むしろ通常の失火による発火の可能性を示すものといわざるを得ない。

(2)  出火時の爆発的現象について

第二火災の出火後間もなく何らかの爆発的現象が起こつたことは原告らもこれを認めるところであるが、その規模、態様については、証人によつて異なり、その原因たる正確な事実は判然としないが、白い煙が立ち昇つた当時、三菱正門付近、あるいは昭石事務所付近に相当数の人がおり、皆安全に待避しているところからして、この爆発の規模はそう大きなものでなかつたものといえよう。

そして、右爆発の原因として、被告らは、気化した油類への引火のほか海綿鉄粉の自然発熱に伴い発生した水素その他の可燃性ガスへの引火、または、溶融する程の高温に達している海綿鉄粉塊が急激に浸水面や床下の水等と接触したことにより、水蒸気爆発を起こしたことによる可能性について述べている。しかしながら、前述のごとく本ヘガネス鉄粉について自然発火が生ずる可能性が認められず、いわんや溶融するようなことはありえないので、これに伴う爆発の原因について考えることは無意味である。

また、爆発現象は、火災発生後においても生じ得たと考えられるのであり、仮に本ヘガネス鉄粉の所在場所付近に爆発現象の生じた痕跡が認められたとするも、爆発の生じた時期およびその原因については全く不明である。

なお、この点に関し、被告らはガソリンその他の石油系可燃性ガス、液体、水素、紙、木材の発火温度につき主張しているが、これに対する原告らの答弁は別紙原告第九準備書面<省略>のとおりである。

(七) 以上のごとく、被告らの主張する本ヘガネス鉄粉の自然発火による出火の可能性は否定されるべきものである。

四  原告らの主張

新潟地震が起つたのは昭和三九年六月一六日午後一時二分頃であつたが、昭石旧工場、新潟アスフアルト工場および三菱金属工場の勤務者は、直ちに逃避するようなことはなく、午後一時四〇分頃、津波警報が伝達されて二時頃までに一旦避難し、次いで二時三五分この警報が解除され、地震、津波もおさまつて人心は次第に落ち着きを取り戻し、四時頃よりぼつぼつ相当数の人が右工場およびその付近に帰つてきていた。

したがつて、これらの工場が地震から第二火災の発火までの約五時間無人の状況にあつたものではなく、当然その間に火を扱い、火を放ち、火を失する時間ないし機会があつた。また、かかる非常事態に際し、工場勤務者としてはそれぞれの職務に応じた相当の注意ないし措置(予防措置を含む。)を尽くす義務があつたし、またその余裕もあつたのである。

しかして、この地域の浸水面上に拡散浮遊していた油類は、自然発火するものではなく、かつ約五時間の経過によりその相当部分が蒸発飛散し、残油は重質化して容易に引火しがたい状態にあつたはずである。

かかる状況下で、午後六時過ぎ三菱金属工場の事務所付近から白みがかつた煙が立ちのぼつて、火元の火災が発生したのである。もしも油類の燃焼による煙であれば黒色でなければならないはずであるから、この白みがかつた煙が油類の燃焼による煙でないことは明白であり、木、紙等有機物の燃焼に基づくものというべきである。ちなみに、消防庁も、普通の「失火」による出火の可能性を否定できないとの見解を発表している。

上叙のとおり、火災保険普通保険約款ないし組立保険普通保険約款における地震約款が適用されるためには、「火元の火災」が地震に因るものであることが立証されなければならないところ、本件において、これを立証すべき資料は見当らず、かえつて右に述べたごとく、本件第二火災の発火原因として失火または放火の可能性すらあるのであるから、被告らの抗弁は理由なく、結局、被告らは本件第二火災による損害をてん補すべき義務を免れないというべきである。

第六証拠関係<省略>

理由

目次

第一  本件保険契約の締結および保険事故の発生

一  原告昭和石油と被告ら七名との間の契約について

二  原告昭和石油アスフアルトと被告大正海上との間の契約について

三  地震免責条項による免責の立証責任との関係について

第二  被告らの免責の抗弁について

一  延焼が地震に因るものであることが主張、立証されれば被告らは免責されるとの主張について

1  地震免責条項

2  地震免責条項の解釈態度

3  地震免責条項における因果関係

4  「原因が直接であると間接であるとを問わず、地震又は噴火に因つて生じた火災及びその延焼その他の損害」の意義

5  結語

二  火元の火災が地震に因るものであることが立証されるので被告らは免責されるとの主張について

1  新潟地震による被害の状況と昭石工場および新潟アスフアルト工場の被災状況

(一) 新潟地震による被害の状況

(二) 昭石新工場における第一火災の出火状況

(三) 本件第二火災の出火状況

(1)  本件第二火災現場付近の各工場の位置

(2)  本件第二火災現場付近の浸水および石油類の流出状況

(3)  本件第二火災出火当時の気象状況

(4)  本件第二火災の出火時刻

(5)  本件第二火災の出火場所

(イ) 目撃者の供述について

(ロ) 航空写真の判読等について

(ハ) 消防庁等の報告などについて

(6)  本件第二火災出火時の具体的状況

(四) 本件第二火災の昭石旧工場および新潟アスフアルト工場への延焼

2  本件第二火災の出火当時における現場の火気の状況と出火原因

(一) 現場における火気の状況

(1)  三菱金属工場

(2)  昭石旧工場および新潟アスフアルト工場

(二) 本件第二火災の出火原因

(1)  被告らの主張について

(イ) 第一火災からの「とび火」または「類焼」による出火説

(ロ) 昭石旧工場、新潟アスフアルト工場および三菱金属工場内の各種加熱炉の余熱による出火説

(ハ) 三菱金属工場大手焼結室の焼結炉からの出火説

(ニ) 鉄粉の自然発火説

(2)  原告らの反論-放火または失火の可能性-について

3  鉄粉の自然発火説

(一) ヘガネス鉄粉の格納状況および鉄粉への浸水の可能性

(二) ヘガネス鉄粉の自然発火の可能性

(1)  自然発火の原理および鉄粉の性質

(2)  ヘガネス鉄粉の自然発火の可能性に関する理論および実験

(イ) ヘガネス鉄粉の空気による酸化

(ロ) ヘガネス鉄粉の水ないし海水の存在下での酸化

(ハ) ヘガネス鉄粉の自然発火の条件と規模効果

(ニ) ヘガネス鉄粉の発火温度

(ホ) ヘガネス鉄粉の自然発火の過程

(三) 第三資材倉庫におけるヘガネス鉄粉の自然発火の可能性

(1)  第三資材倉庫における条件

(2)  第三資材倉庫の焼跡から発掘された試料AおよびB

(イ) 試料AおよびBの発掘等の経緯

(ロ) 試料AおよびBについての検討

<1> 試料B(B甲)の成分

<2> 試料A(A甲)および同B(B甲)の熱履歴

<3> 熱変化の原因

4  結語

第三  結論

はじめに

本判決理由中で摘示する書証は、いずれもその成立につき当事者間に争いがないか、あるいは真正の成立が認められるものであるか、判文中でその都度これを説示する煩を避けるため、便宜つぎに一括して説示することとする。

一  甲号証

甲第一号証、同第二号証の一ないし三、同第三号証の一ないし五、同第四、第五号証、同第六、第七号証の各一、二、同第八ないし第一二号証、同第一三、第一四号証の各一、二、同第一五ないし第一八号証、同第二五ないし第三〇号証、同第三五号証の二ないし五、同第三七号証はいずれもその成立につき当事者間に争いがない。

甲第一九号証の一、二は証人武田裕幸の証言によつて、同第二〇、第二一号証の各一、二、同第二二号証、同第二三号証の一、二、同第三二号証の一ないし三および同第三三号証の一、二は証人安井信朗の証言によつて、同第二四号証および同第三九ないし第四二号証は証人日高陽一郎の証言(第一回)によつて、同第四四ないし第四六号証、同第四七号証の一および二の各一、二、同号証の三は証人日高陽一郎の証言(第二回)によつて、同第三一号証は証人秋田一雄の証言によつて、同第三五号証の一は証人今村嘉男の証言によつて、同第三六号証の一ないし六は証人森田和男の証言によつて、同第三八号証は証人原善四郎の証言(第一回)によつて、同第四三号証は証人原善四郎の証言(第二回)によつて、それぞれ真正に成立したものと認める。

二  乙号証

乙第一号証の一、二、同第二号証の一ないし一五、同第三号証、同第四号証の一ないし四、同第五号証の一ないし三、同第六号証の一、二、同第八ないし第一〇号証、同第一一号証の二、同第一二号証の一の一ないし一〇、同号証の二および三の各一ないし一一、同号証の四および五の各一ないし五、同号証の六ないし九、同第一四号証の一、二、同号証の三の一ないし一一、同第一五号証の一、二、同号証の三の一ないし一二、同第一六号証の一、二、同号証の三の一ないし一九、同第一七号証の一、二、同号証の三の一ないし一八、同第一八号証の一ないし一九、同第一九号証の一ないし一一、同第二〇号証の一ないし三、同第二一、第二二号証、同第二三号証の二、同第二五号証の三のイないしホ、同第二六号証の一、二、同第二七、第二八号証、同第二九号証の一、二、同第三〇ないし第三五号証、同第四二号証、同第四五号証、同第四八ないし第五一号証はいずれもその成立につき当事者間に争いがない。

乙第一一号証の一は弁論の全趣旨によつて、同第二三号証の一は証人西尾元充の証言によつて、同第二四号証は証人北川徹三の証言(第一回)によつて、同第二五号証の一、二は証人安藤直次郎の証言によつて、同第三六号証は弁論の全趣旨によつて、同第三七ないし第四一号証および同第四三号証は証人若園吉一の証言によつて、同第四四号証および同第四六号証は証人贄川末男の証言によつて、同第四七号証および同第五二号証は証人北川徹三の証言(第二回)によつて、いずれも真正に成立したものと認める。

第一本件保険契約の締結および保険事故の発生

一  原告昭和石油と被告ら七名との間の契約について

原告昭和石油の被告ら七名に対する請求原因事実のうち、原告昭和石油および被告らが右請求の原因1項記載のとおりの会社であること、原告昭和石油がその所有にかかる新潟市沼垂四九一四番地所在の新潟製油所および新潟油槽所を構成する物件等を目的とし、原告昭和石油を被保険者とし、被告ら七名をそれぞれ保険者として、前記請求の原因2項記載のごとき第一ないし第一二の火災保険契約および第一三の組立保険契約を締結し、各契約について所定の保険料の支払いを了したこと(ただし、右第一ないし第六および第八ないし第一二契約中の契約時における保険価額の点、ならびに第七契約中昭和三九年六月一六日午後一時現在における新潟製油所および新潟油槽所の在庫品の明細の点を除く。)、右各契約の目的たる別紙第一ないし第一二目録記載の物件中に、右各契約の保険期間内である昭和三九年六月一六日より同月二〇日までの間に火災によつてその全部または一部が焼失したものがあること、原告昭和石油が、各被告に対し保険約款の定めるところに従い昭和三九年八月六日、文書によつて右火災による損害の発生を通知し、また同年九月八日に火災状況および損害の見積を記載した書面を作成して提出したことは、いずれも原告昭和石油と被告ら七名との間で争いがない。

二  原告昭和石油アスフアルトと被告大正海上との間の契約について

原告昭和石油アスフアルトの被告大正海上に対する請求原因事実のうち、新潟アスフアルト工業が右請求の原因1項記載のごとき会社であつたこと、被告大正海上が同項記載のとおりの会社であること、新潟アスフアルト工業がその所有にかかる新潟市沼垂四九一四番地所在の新潟工場を構成する物件およびその収容品等を保険の目的、新潟アスフアルト工業を被保険者、被告大正海上を保険者として、同被告との間に前記請求の原因2項記載の第一ないし第三の各火災保険契約を締結し、それぞれ所定の保険料を支払つたこと(ただし、右第一ないし第三の保険契約中保険価額の点を除く。)、右保険の目的たる別紙第一三ないし第一五目録記載の物件中に、右各契約の保険期間内である昭和三九年六月一六日より同月一八日までの間に火災によつてその全部または一部が焼失したものがあること、新潟アスフアルト工業が被告大正海上に対し、保険約款の定めるところに従い、右火災による損害の発生を通知し、昭和三九年九月一四日火災状況調書および損害の見積を記載した書面を作成して提出したことは、いずれも原告昭和石油アスフアルトと被告大正海上との間で争いがなく、また、その後新潟アスフアルト工業が合併により消滅し、原告昭和石油アスフアルトがその権利義務を承継したことは、被告大正海上において明らかに争わないのでこれを自白したものとみなす。

三  地震免責条項による免責の立証責任との関係について

以上の事実によれば、被告らは火災保険普通保険約款および組立保険普通保険約款にいわゆる地震免責条項に該当する事由を主張、立証しないときには、原告らに対しその損害に応じ、それぞれ保険金支払いの責めを免れないというべきである。けだし、商法六六五条は、「火災ニ因リテ生シタル損害ハ其火災ノ原因如何ヲ問ハス保険者之ヲ填補スル責ニ任ス但第六百四十条及ヒ第六百四十一条ノ場合ハ此限ニ在ラス」と定めて同条ただし書で規定する六四〇条(戦争、変乱に因る損害)、および六四一条(保険の目的の瑕疵等、保険契約者等の悪意重過失に因る損害)の法定免責事由に該当する場合を除き、火災保険におけるいわゆる「危険普通の原則」を採用しているところ、火災保険普通保険約款および組立保険普通保険約款が定める地震免責条項は、右原則についての特例を定めるものであるというべきであるから、このような免責条項については、保険者が右の条項に該当する事由の存在を主張、立証すべき責任を負うものであることは多言を要しない(大審院大正一四年一一月二八日判決民集四巻六七七頁参照)。

第二被告らの免責の抗弁について

一  延焼が地震に因るものであることが主張、立証されれば被告らは免責されるとの主張について

1  地震免責条項

火災保険普通保険約款五条一項は、「当会社は次に掲げる損害を填補する責に任じない」と規定し、同項八号では「原因が直接であると間接であるとを問わず、地震又は噴火に因つて生じた火災及びその延焼その他の損害」と定め、また、組立保険普通保険約款六条一項は、「当会社は、原因が直接であると間接であるとを問わず、保険の目的につき次に掲げる事故により生じた損害に対しては、てん補する責に任じない」と定め、同項三号では「地震または噴火による損害」と定めている(以下これらの規定を「地震免責条項」という。)。

一般に、火災保険において、地震ないし地震損害をどのように扱うかについては、外国の立法例では反対の約定がない限り地震に因つて生じた火災損害はてん補しない旨を定めるものが少なくなく、また、そうでない場合にも保険約款において右のような免責の特約が設けられることがある。これらの立法あるいは保険約款中に地震免責条項が設けられるに至つたのは、地震による保険事故の発生の度合ないしこれによる損害の程度がその性質上平均性を欠き、その蓋然性を測定することが困難であること、地域的にみても地球上地震の発生する地帯の分布は不均等であつて、保険の相互性の原則に適合しないこと、大火災がひとたび発生すると、比較的限られた地域にしばしば破局的な程度の損害が生ずること(ことに日本のように木造家屋の多いところではこの点が著しい。)、また、とくに大地震の際には各種施設が破壊され、また人心が動揺し、火災の防止活動あるいは消防活動が一時的に停止もしくは不可能となり、平時では想像もできないような大損害が生じ易いことなどによるものと解される。

2  地震免責条項の解釈態度

(一) 地震免責を定める立法ないし約款は右のような目的で制定され、作成されたものと考えられるが、しかし、実際の地震免責を定める約款の規定は国によつて異なり、また、たとえば日本においても日本人を相手方として火災保険契約を締結する場合に用いる火災保険普通保険約款中の地震免責条項と日本国内に在住する外国人を相手方として契約を締結する場合に用いるUniform Policy Conditions(Foreign)における地震免責条項(六条)とでは規定の仕方を異にしている。すなわち、地震免責条項の定め方を世界的にみると、地震と火災ないし火災損害との間に因果関係を要するとする因果主義によるもの、地震の起つた際に発生する火災はすべて地震に起因するとする推定主義によるもの、および建物の倒れた時をもつて保険者の責任が終了するという倒壊主義によるものがある。これらは、地震免責条項の一般的な目的を踏まえつつも、それぞれの国において、また契約の相手方の地位等により、諸般の事情を考慮して個々の約款として定められ、かつ、現に通用しているのであるから、その解釈にあたつては、個々の約款の規定に即してこれをするのが正当であるというべきである。

もつとも、火災保険普通保険約款と組立保険普通保険約款とでは地震免責条項の規定の文言を若干異にしていることは前示のとおりである。そこで、これら二つの約款中の地震免責条項の関係について考察してみるに、火災保険は火災に因つて保険の目的に生じた損害をてん補するためのものであり(商法六六五条、火災保険普通保険約款一条参照)、これに対し組立保険(erection insurance ;Montage-versicherung)は、各種の機械、機械設備および装置、鋼構造物、プラントの組立中に生ずる不測かつ突発的な事故により生ずる損害をてん補するための保険であつて、火災による損害も当然これに含まれ(組立保険普通保険約款一条)、組立保険における保険会社の責任は保険の目的が工事現場に荷卸された時に開始し、試運転または負荷試験終了後引渡の時(保険の目的が新品である場合)に終了する(同約款三条)ものであつて、これら二つの保険は保険事故を異にする別個の損害保険であり、そのために地震免責条項も規定の文言を若干異にしているのであるが、組立保険の場合に、「原因が直接であると間接であるとを問わず、保険の目的につき次に掲げる事故により生じた損害」をてん補しないとして、「地震……に る事故」を掲げるにとどまるのは、主として保険事故が多様であるために免責条項の規定の仕方も包括的にせざるをえないという条項作成上の技術的な理由によるものと考えられ、保険事故が火災である場合の地震免責条項の適用がとくに火災保険の場合と異ならなければならないものとも考えられない。したがつて、組立保険についても、火災損害に関して地震免責条項を適用する場合には、火災保険におけると同様に解釈するのが相当である。

(二) また、一般に約款は企業者が集団的取引の便宜のために作成するものであるが、それは結局において経済的優位に立つ企業者が譲歩しうる限度において自己に有利なように定型的な規律を設けたものというべきであつて、保険約款の場合にも、監督官庁の認可を要するとはいえ、その例外とはいえないものである。したがつて、その免責条項も保険者に有利に類推ないし拡張解釈をなすべきではないといわなければならない。

3  地震免責条項における因果関係

損害保険において保険者が責任を負うためには、保険事故と損害の発生との間に因果関係のあることが必要であり、その因果関係は相当因果関係を意味すると解すべきである(大審院昭和二年五月三一日判決民集六巻一一号五二一頁参照)。したがつて、火災保険の場合は火災と相当因果関係のある損害について保険者がてん補責任を負担すべきこととなる。

ところで、地震免責条項においては、本件火災保険普通保険約款の場合には、同条項の文理に徴し、地震と保険事故たる火災との間の因果関係の有無が問題となるというべきである、そして、右の因果関係の内容については、相当因果関係を意味すると解する説といわゆる近因の原則によると解すべきであるとする説とがあるが、いずれの説をとつても後記のとおり実際上は大きな差異があるとは考えられず、結局、地震免責条項の規定に即し、具体的事情を検討して決するほかはないと解するを相当とする。けだし、相当因果関係を要するといつても、保険契約による保険金の支払関係は、不法行為や債務不履行による損害賠償義務のように、違法行為をなした者に責任を負わせるという関係ではなく、保険契約独自の理念によるものであるから、不法行為や債務不履行に基づく損害賠償責任における相当因果関係理論と同一に解する必要はないし、また、近因の原則といつてもその内容は結局どの原因が最も決定的な影響を実質的に与えたかによつて何が近因であるかを決するわけであるから、両者の間に実際上大きな差異があるとも考えられないからである。

4  「原因が直接であると間接であるとを問わず、地震又は噴火に因つて生じた火災及びその延焼その他の損害」の意義

本件において、原告らは、地震免責条項において免責されるのは、「原因が直接であると間接であるとを問わず」地震に因つて生じた「火元の火災」とその火元の火災の延焼による損害であつて、換言すれば、保険の目的が延焼火災によつて焼失ないし焼損した場合には火元の火災が地震に因つて生じたことを必要とするのであつて、火元の火災が地震以外の原因に因つて生じ、延焼のみが地震と因果関係を有する場合は免責されない、と主張し、これに対し、被告らは、地震免責条項にいう地震に因つて生じた火災「及びその延焼」とは「地震に因つて生じた火元の火災の延焼」と「地震に因つて生じた延焼火災(火元の火災は必ずしも地震に因つて生じたことを必要としない。)の延焼」の両者を含むものである旨主張するので、以下この点を検討する。

(一) 一般に火災保険における火災とは、社会通念上いわゆる火事とみとめられるような性質と規模、すなわち通常の用法における状態を逸脱して固有の力をもつて蔓延しうる状態におかれた火力の延焼作用をいい、また、延焼とは火災が燃え広がることないしは燃え広がつたその火災をいうものなるところ、火災保険普通保険約款五条一項八号では「火災及びその延焼」として火災と延焼とを区別して規定しているのであつて、このことにかんがみると、同条項にいう「火災」とは延焼でない火災、すなわち火元の火災をいうものと解され、またこれを条項の文理に即してみても、同条項は「原因が直接であると間接であるとを問わず地震に因つて生じた火災」と規定し、延焼については前記のとおり「及びその延焼」としてこれを(火元の)火災と截然と区別しているのであるから、この文理に照らし、「原因が直接であると間接であるとを問わず地震に因つて生じた」は「火災」にかかり、「その延焼その他の損害」を修飾するのではないと解するのが相当である。したがつて、同条項にいう「その延焼」とは、地震に因つて生じた(火元の)火災の延焼をいうものと解するを相当とする。

ちなみに、右のように地震免責条項を解釈することは、従来の約款の改定の経緯にも合致すると考えられる。すなわち、甲第二四号証、同第二七号証および同第二八号証によれば、かつて大日本聯合火災保険協会により火災保険普通保険約款の改正が企図され、その過程で昭和一〇年七月九日付で修正案が作成されたが、右修正案の原案においては五条一項八号(免責条項)として、「地震、噴火、津浪、海嘯又ハ戦争、変乱、一揆、暴動ニ因リテ直接又ハ間接ニ生シタル損害並ニ上記ノ天災事変、台風、颶風其他此等ニ類似スル原因ニ基ク非常状態中ニ生シタル損害但争アルトキハ被保険者ニ於テ損害カ本号ノ天災、事変ニ因リ又ハ本号ノ非常状態中ニ生シタルモノニ非ラサルコトヲ証明スルコトヲ要スルモノトス」と規定されていたところ、当時の監督官庁であつた商工省が、解釈の確定している従来の約款を是とし、また挙証責任については保険者の有利となる規定を設けることに不同意であつたために、商工省の内認可を得た前記昭和一〇年の修正案では従来の約款(現行のものと同一)がそのままひきつがれることとなつたことが認められ、これに反する証拠はないから、被告ら主張のように火元の火災が地震に因らず延焼のみが地震に因つて生じた場合をも免責することは、結局において、右の昭和一〇年の改定原案のごとく、およそ地震に基づく非常状態中に生じた損害をすべて免責しようとするとほぼ同趣旨に帰するが、そのような条項が妥当でないとして改定が成らなかつたわけである。

なお、ここで「原因が直接であると間接であるとを問わず地震に因つて生じた」とは、右のように(火元の)火災の発生原因についての語句であり、「原因が直接」というのは、たとえば現に火力を用いつつある場合に地震によつて建物が倒壊し火災を生ずるような場合をさし、「間接」というのは、たとえば現に火力を用いていない場合に地震によつて薬品等可燃性の物質が転倒するなどして摩擦等を起し、これにより発火して火災を生じたような場合をさすものと解せられる。

(二) この点につき、被告らは、約款一条における「火災」は「火元の火災」と「延焼火災」とを含むものであり、また、「延焼火災」による損害とはいわば「火元の火災」を火源とし、これに保険の目的物が接触して焼燬したものというべきであるから、約款五条一項八号にいわゆる「火災」も延焼火災を含み、したがつて「及びその延焼」は「地震に因つて生じた火元の火災の延焼」と「地震に因つて生じた延焼火災の延焼」の両者を含むものと解すべきである旨主張する。確かに五条の免責条項は一条の規定を前提とするものであり、また同一の約款においては同一の語句は可能な限り単一の意義を有するものとして解釈するのが妥当であるし、さらにまた「火災」の語は通常は「延焼火災」をも含むものとして用いられることが多いが、しかし、約款一条は保険の目的につき火災によつて損害を生じた場合における保険者のてん補責任を規定しているのであり、ここでは損害の原因が火災であるか否かのみが問題とされているのであつて、火災の発生原因のいかんを問うものではなく、したがつて、ここでは火災が「火元の火災」か「延焼」かを問題にする必要が全く存しないために、「延焼火災」を含む意味で通常の「火災」という用語を用いたにすぎないと解せられる。これに反し、約款五条の場合には火災の発生原因が地震に因るものか否かが問題となつていると理解すべきであり、それであるからこそ(火元の)「火災」と「延焼」とを区別する意義があるというべきである。また、被告らは、地震に因つてはじめて生じたものでない火災、すなわち地震以外の原因で生じた火災の延焼であつても、地震によつて生じた状態がその延焼によつて決定的な影響を及ぼしている火災損害であれば、それは地震火災損害と解されるべきである旨主張するが、すでに述べたとおり、地震免責条項の解釈はできるだけ当該条項の文言に即して解釈すべきであり、かつ、特段の事情のない限り、その類推ないし拡大解釈はすべきではないこと前示のとおりであるから、被告らの右主張もまた当裁判所の採用しえないところである。

5  結語

以上を要するに、火災保険普通保険約款五条一項八号の地震免責条項の解釈としては、保険の目的が延焼火災によつて損害を受けた場合、保険者は、そのてん補責任を免れるためには、火元の火災が地震に因つて生じたものであることを主張、立証することを要すると解すべきであり、また組立保険普通保険約款六条一項三号の地震免責条項も右と同趣旨に解すべきである。

したがつて、本件において、前記保険の目的物を焼燬した延焼火災が地震に因るものであることが立証されれば地震免責条項により免責されるとの被告らの主張は、その余の点について判断するまでもなく、失当であるといわなければならない。

二  火元の火災が地震に因るものであることが立証されるので被告らは免責されるとの主張について

1  新潟地震による被害の状況と昭石工場および新潟アスフアルト工場の被災状況

(一) 新潟地震による被害の状況

(1)  昭和三九年六月一六日午後一時二分頃、新潟県北部の西方沖にある粟島の南方付近を震源地とする大地震(マグニチユードM七・七、新潟市を中心に震度五ないし六)が発生し、このため、新潟市内各所に家屋の倒壊、傾斜等が続出し、道路の亀裂および陥没、地下水の噴出による大量の土砂の流出、橋梁の破壊落下、港湾河川岸壁の決壊等が発生し、電気水道、ガス、通信その他の諸施設も甚大な損害を受けたことは、いずれも当事者間に争いがない。

(2)  地震に伴い、同日午後一時三五分を第一波として約三〇分間隔で津波が十数波襲来し、(乙第五号証の三によれば少なくとも一二波襲来したことが認められ、これに反する証拠はない。)、とくに午後二時三三分の第三波は高さ一・八〇メートル(新潟地方気象台正面-信濃川河口より五・三キロメートル上流-での験測)にも達し、これがため海抜雰メートル地帯は一部護岸の決壊、地下水の湧出と相まつて膝付近に達する浸水状態となつた所も相当に生じ、その地域が後記第二火災の出火地点を含むかなり広範囲に及んだことは、いずれも当事者間に争いがない。なお、乙第五号証の三によれば、津波は前記の第三波をほぼ頂点として次第に弱まつたことが認められ、これに反する証拠はない。

(3)  また、乙第五号証の一によると、地震とほぼ同時に、新潟市内の少なくとも四か所から火災が発生したが、そのうちの三か所(この三か所が原告昭和石油新工場、成沢石油、日東紡倉庫付近の道路上であることは当事者間に争いがない。)は石油類に関係する火災で、一瞬にして黒煙が天を覆い、市内の地震被害とともに悽惨な情景を呈したことが認められ、他に右認定に反する証拠はない。

(二) 昭石新工場における第一火災の出火状況

新潟市沼垂四九一四番地に所在する原告昭和石油新潟製油所のいわゆる新工場(以下「昭石新工場」という。)には、原油タンク五基(容量三〇、〇〇〇キロリツトルのもの三基、四五、〇〇〇キロリツトルのもの二基)があり、そのうち一一〇三号原油タンク(容量三〇、〇〇〇キロリツトルのもの)が地震による地盤沈下のため傾斜し、地震波の反射によるタンク浮屋根の浮遊上下動によつて原油の溢流と同時に発火して(第一火災)、上空に黒煙を上げて六月末頃まで燃え続けたことは、当事者間に争いがない。

(三) 本件第二火災の出火状況

(1)  本件第二火災現場付近の各工場の位置

右昭石新工場の北方に約一五〇メートルを隔てて訴外三菱金属鉱業株式会社新潟第一工場(以下「三菱金属工場」という。)が存在し、その西方に隣接して原告昭和石油のいわゆる旧工場(以下「昭石旧工場」という。)があり、昭石旧工場の敷地の東南隅の一部に三菱金属工場と境を接して新潟アスフアルト工業株式会社の工場(以下「新潟アスフアルト工場」という。)が存在し、新潟アスフアルト工場が昭石旧工場の一施設たる観を呈していたこと、昭石旧工場構内の別紙第一図面中(D)地区には東北部に原油タンク四基、その西側に常滅圧連続蒸溜装置と半製品の灯油、軽油、潤滑油等を入れる一九基のタンク群、さらにその西隣に第一、第二常圧連続蒸溜装置(トツピング・プラント)と灯油、軽油類用のタンク一六基がそれぞれ所在し、また、(D)地区の東南部にガソリン、航空機用燃料などの揮発油類を入れる一〇基(このうちの一基が三三号タンク)のタンク群が、また(D)地区の西部には原油および残油用のタンク各一基があるほか、南方の鉄道線路沿いに大小合わせて二九九基のタンク群および貨車積用設備が存在していたこと、さらにその南方(別紙第一図面中、(B)地区および(E)地区)には巨大な原油、重油のタンク群が存在していたこと、これらの各工場およびタンク等の位置関係が第一図面および別紙第二図面<省略>のとおりであることは、いずれも当事者間に争いがない。

(2)  本件第二火災現場付近の浸水および石油類の流出状況

乙第二号証の三、同号証の六ないし八、同号証の一〇、一一、同第四号証の一ないし四、同第八号証、同第一二号証の一の一、同第一四号証の一、同第二三号証の一、二および証人西尾元充の証言によれば、昭石旧工場の敷地は昭石事務所付近を除きいわゆる零メートル地帯であつたが、地震と同時に多量の地下水が噴出ないし湧出し、また、昭石旧工場の西方に位置する新潟港阜頭およびこれに隣接する臨港町の居住地区付近において堤防の決壊があり、前記の津波と相まつて海水が流入し、昭石旧工場の事務所付近を除く大半の地域が別紙第三図面のとおりの浸水状況となり、その深さは場所によつて異なるが、深い所で約五、六〇センチメートル、浅い所で約二、三〇センチメートルに及んだこと、地震により昭石旧工場内のタンク、配管、防油堤その他の施設の一部が傾斜、亀裂、破損等の被害を被り、ことに別紙第一図面(D)地区の東南方新潟アスフアルト工場に隣接するタンク群のうち三三号タンク(ガソリン、容量一、〇〇〇キロリツトル)のパイプと側板との接続部が折損し、ガソリンが当初は約二メートルの高さに噴出し、防油堤の破損個所より流出して付近に拡がり、また、第一図面(D)地区の東北、三菱金属工場との境界付近に存在する一群の原油タンクのうち五号タンクもその上部に破損を生じて原油が流出し、また(D)地区の一三号タンク(当時C重油四、七〇九キロリツトル入)の底部の水切四インチパイプの接続部のボールトナツトが切れて重油が流出し、破損した防油堤から外に流れたこと(なお、この他にも乙第二三号証の一によると昭石旧工場の西側に隣接する第一図面(H)地区の瀝青鉱油のものと思われるタンクからも石油が流出していたことが、認められる。)、その他、いずれの個所と特定することはできないが、タンク等の破損により石油類が流出して、これらのガソリン、原油その他の石油類が前記の昭石旧工場および三菱金属工場の敷地内の浸水面上を伝わつて時間とともに拡散してゆき、その範囲は同日(六月一六日)午後四時四三分頃には別紙第四図面<省略>のとおりであつたことがそれぞれ認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(3)  本件第二火災出火当時の気象状況

かくして、同日午後六時すぎにいわゆる第二火災が発生したのであるが、本件第二火災出火当時の気象状況は、乙第二号証の二によればつぎのとおりであることが認められ、これに反する証拠はない。すなわち、天候‥‥晴、風向‥‥北北東、風速‥‥毎秒四・三メートル、気温‥‥摂氏一九・二度、相対温度‥‥八一パーセント、実効温度‥八三・三パーセントである。

(4)  本件第二火災の出火時刻

本件第二火災の出火時刻については、いくつかの証言および書証があり、これらが相互に若干食い違いをみせている。すなわち、乙第二号証の二には一八時〇分、同号証の三には午後六時ないし六時半、同号証の一〇には一八時三〇分頃、同第五号証の二には一八時〇分頃、同第六号証の二には一八時頃、同第一二号証の一の一には一八時三〇分頃、同号証の二の一の九(成田成一の供述)には午後六時三分、同号証の二の一〇(石丸安彦の供述)には午後六時頃、証人成田成一の証言には午後六時五分とあり、これらによれば、出火時刻はおおむね六月一六日午後六時から六時半までの間と認められるが、これらの証言ないし書証のうちでは、乙第一二号証の一の九(現場目撃者成田成一の供述記載)および同証人の証言中、現場付近で本件第二火災の出火を見て同証人あるいは同証人と同行した杉山某が腕時計を見たところ午後六時三分ないし五分すぎであつた旨の供述部分が最も信頼できるものと考えられる。もとより、右の時計の正確性を裏付ける証拠はないが、他の証言ないし書証が出火時刻推定の根拠を明らかにしていないのに比し、同証人の供述が具体的でかつ鮮明であるからである。してみると、本件第二火災の出火時刻は六月一六日午後六時五分頃と認定するのが相当であり、他に右認定を覆すに足る証拠は見あたらない。

(5)  本件第二火災の出火場所

本件第二火災出火場所に関する証拠は、これを大別すると、おおむむ出火の状況を目撃した者の供述、本件第二火災に関する航空写真および付近に残された焼跡の状況等の調査に基づく意見、消防庁等の報告の三つに分けられるので、以下それぞれについて個別的に検討したうえ、それらを綜合して出火地点を認定することとする。

(イ) 目撃者の供述について

本件第二火災の出火の状況ないしその直後の状況を目撃した者の出火場所に関する供述としては、まず、発火場所を三菱金属工場の事務所ないし事務所付近とするものとして、証人浅野純一の証言および乙第一二号証の一の九中、三菱正門前の平和町住宅から見て、三菱金属工場の事務所の東北のすみ、あるいは事務所の北側である旨の供述ならびに供述記載、同石橋俊雄の証言および乙第一二号証の一の九中、平和町住宅の東南方で昭石新工場のフエンス沿いの地点から見て、三菱金属工場の事務所の南北の棟の屋根の上で、その東側部分の北側である旨の供述ならびに供述記載、同羽賀芳男の証言中、平和町住宅の東南方で昭石新工場のフエンス沿いの地点から見て、三菱金属工場の事務所の屋根の北側の東側部分ではあるが、同事務所そのものというより同事務所付近という感じである旨の供述、同保苅末治の証言中、平和町住宅の東南方で昭石新工場のフエンス沿いの地点から見て、三菱金属工場の事務所付近で同事務所の東側部分の上方である旨の供述、同針貝勇次郎の証言および乙第一二号証の一の九中、三菱金属工場テニスコートわき県道をはさんで住宅のある所から見て、同工場の事務所付近である旨の供述ならびに供述記載があり、つぎに、出火場所を三菱金属工場の事務所の向う側とするものとして、証人佐藤正衛の証言および乙第一二号証の一の九中、三菱正門際の平和町住宅から見て、同事務所と機械工場と第三資材倉庫との中間付近である旨の供述ならびに供述記載、同宮田右門の証言中、三菱金属工場正門前の県道上の西方から見て、三菱金属工場の事務所と思われる建物付近で同事務所の向う側である旨の供述、同今井信の証言および乙第一二号証の一の九中、三菱金属工場正門前の県道上から見て、同工場事務所の裏手で北西の方向である旨の供述ならびに供述記載、同風間仁一郎の証言および乙第一二号証の一の九中、平和町の砂丘上から見て、三菱金属工場の事務所の屋根の北ないし東側で機械工場やのこぎり屋根の荷造室よりは手前だつたと思うとの供述ならびに供述記載がありまた、証人吉田清の証言および乙第一二号証の一の九中、三菱金属工場のテニスコートわきの県道をはさんだ住宅のある所から見て、三菱金属工場の集会所の二階の南西角付近から煙が出ているように見えた旨の供述ならびに供述記載、同成田成一の証言および乙第一二号証の一の九中、三菱金属工場正門の直近の位置から見て、機械工場の東側の窓から煙と炎が出ていた旨の供述ならびに供述記載、同高橋晋吉および同小柳昭二の証言中、平和町の砂丘上の住宅から見て、荷造室を含むのこぎり型屋根の建物付近であつた旨の供述があり、さらに、これらと異なるものとして、証人渋谷栄松、同石川秀雄の各証言中、昭石事務所(別紙第一図(C)地区)の車寄せの地点から見て、新潟アスフアルト工場の向う側で、昭石事務所と新潟アスフアルト工場の北端を結んだ線の南側、昭石事務所から三菱金属工場のダクト原料室南側部分の高い建物を見通す線の北側の部分であつた旨の供述があり、また、乙第一二号証の二中、三菱金属工場従業員らの供述として、昭石旧工場の構内ないしその方向で出火があつた旨の記載があるが、同号証の二の一一には、比村由男(平和町の住民で、三菱金属工場の従業員ではない。)の供述として、平和町一二番地の自宅から見て、三菱金属工場と昭石旧工場との中間、新潟アスフアルト工場の浜手の方向(新潟アスフアルト工場の北側の一部を含み、三菱金属工場と昭石旧工場との境界線を長い径とするほぼ楕円形状の範囲)であつた旨の記載もある(これら目撃者の目撃した地点は、同人らの証言ないし供述と当裁判所の現場検証の結果とによつて別紙第二図中に摘示したとおりであると認められる。)。

このように目撃者の供述が区々であるのは、出火当時の異常な状況の下ではある程度避けがたいことであるし、また、三菱金属工場構内の建物の位置関係が外部からでは正確にとらえにくかつたことにもよるものと考えられるのであるが、前示各供述のうち、前記証人石川、渋谷らの供述は、いずれも両名が新潟市消防署の職員として、出火時刻に出火場所に比較的近い(約一五〇ないし二〇〇メートルの距離に所在する)昭石事務所前から観察した結果に基づくものであり、その内容も新潟アスフアルト工場および三菱金属工場のダクト原料室の建物を基準として出火地点の範囲を明確にしているのであるから、同証人らの目撃地点が前記証人成田、浅野らのそれよりやや遠いことを考慮してもなお、その供述内容は、いずれも信憑性の高いものである。

前記北村の供述内容は、その表現が違つてはいるが、右石川、渋谷両証人の供述するところに近似している。また、前記証人浅野、石橋、羽賀、保苅、針貝、佐藤(正)、宮田、今井、風間、成田らの各供述内容も、その表現にかかわらず要するに、同人らの目撃地点からみて出火場所はおおむね三菱金属工場の事務所の方向で事務所の向う側であるというにあると理解することができるものである。けだし、右証人らは出火場所を三菱金属工場の事務所ないしその付近である旨を供述しているが、それは、これらの者のうち、三菱金属工場の近くから目撃した証人浅野、針貝らについては、いずれもその目撃の視点が低いために出火場所と建物との遠近の関係を正確にとらえることが困難であつたためと思われるし、また、昭石新工場のフエンス沿いの地点から目撃した証人羽賀、石橋、保苅らについては、その目撃の地点が相当に遠いために出火場所と建物との遠近の関係がこれまた正確にとらえにくくあつたためとも考えられるし、現に、証人風間、佐藤(正)、今井、宮田らのように三菱金属工場の事務所の向う側と供述するもの、証人高橋、小柳らのように、三菱金属工場の事務所より北方にある荷造室、接点室を含むのこぎり型屋根の建物付近と供述するもの、証人成田のように、三菱金属工場の機械工場の窓付近と供述するものがあるからである。なお、乙第一二号証の二中の三菱金属工場従業員の各供述内容は、単に昭石旧工場の構内ないしその方角から出火したというのみであつて非常にあいまいであるから、出火場所を認定する資料としての価値のあるものでなく、また、証人吉田の供述内容は、三菱金属工場の集会所の二階附近から出火したとするものであるが、他にこれに近い証拠は全くないのでこれも証拠としての価値を認めることはできない。

以上これらの供述を検討した結果と甲第一八号証(本件第二火災出火当時の現場図面)とをあわせ考えると、その限りにおいては、本件第二火災の出火場所は、ほぼ三菱金属工場の機械工場、荷造室、接点室、銅粉工場、大手焼結室の南側の一部、第三資材倉庫、木工場、新潟アスフアルト工場の東北部分を含む地域の範囲内であつて、三菱金属工場の事務所あるいはその付近ではないと推認することができるというべきである。

(ロ) 航空写真の判読等について

本件において、本件第二火災および火災後の状況を撮影した写真として、検甲第一ないし第四号証(同第二および第四号証は各一、二)、乙第一三号証(一、二)、同第一八号証(一ないし一九)、同第一九号証(一ないし一一)および同第二二号証があり、さらに乙第一一号証、同第一四ないし第一七号証中にも火災後の現場付近の写真が収録されている。そして、これらにより出火場所を検討すべきところ、これらの写真の判読について専門的な知識および経験を有する者の判読結果を示す意見として、被告側の主張(前記事実欄、第四抗弁二4参照)に沿うものに乙第二五号証の一ないし三とこれを作成した証人安藤直次郎の証言があり、これに対する反論として甲第一九号証の一、二とこれを作成した証人武田裕幸の証言があるので、以下これら専門家による判読結果を中心に検討を加えることとする。

まず、乙第二五号証の一の全体的な証拠価値についてみるに、この内容は、のちに検討するように、NO一写真(乙第二五号証の二に所収のもの。以下本項において同じ。)における煙の範囲の判読にあたり、その煙の南端を三菱金属工場の南側にある平和町住宅あたりとしているが、甲第一九号証の一の指摘するとおり、右煙の南端は乙第二五号証の一の指示する地点よりは北寄りで新潟アスフアルト工場の南側部分とみる方が正確であり、またNO二六写真を三菱金属の事務所付近を撮影したものとしているが、甲第一九号証の一のようにむしろ三菱金属工場の資材詰所とみるべきであるなどの点で明らかな誤りを含んでいるが、しかし、その判読はおおむね写真の克明な分析に基づいているというべく、右のような誤りのために全体的な証拠価値を否定すべきではないので、これらの誤りないしは不正確な部分を正しつつ、その内容を仔細に検討するのが相当である。

しかるところ、乙第二五号証の一は、<1>本件第二火災の燃焼状況の航空写真を調べて燃焼の南北および東西の範囲を求め、その中心点を割り出すこと、<2>本件第二火災の延焼方向を調べて延焼のいわば原点ないし分岐点に当たる個所を求めること、右と類似するが(NO一〇写真について)焼燬ないし延焼の方向を求めることおよび<3>NO一写真について燃焼の中心点とみられる位置に発生しているとみられる断続的な火災の下に特別な燃焼が起きていると考えられること等により、出火地点を三菱金属工場第三資材倉庫の中央より西北寄り付近と判定している。この判定については、<1>の方法につき、燃焼の中心部分をもつて出火地点と推定することは、燃焼物が均質であることを前提としてはじめて成立するのであつて、本件におけるように石油類のほか木造、鉄筋コンクリート造の建物の存在その他によつて燃焼物質が均質とはいえない場合には成立たないのではないか、また、本件におけるように一定方向の風が吹いている場合には、右のように燃焼の中心を出火地点ということはできないのではないか、さらに、燃焼のごく初期で延焼がいずれの方向へも拡大しうる状態にあるような場合はともかくとして、本件におけるように北方、南方および東方についてはすでに延焼が一定の障害物にさえぎられて拡大できなくなつている場合には、右安藤意見書のいうごとき推定は成立しないのではないかとの疑問があるが、しかし、本件で燃焼の主体となつたのは浸水した水面上に拡散したガソリンその他の石油類であり、これらは、建物等の存在にもかかわらず、全体としてはほぼ均質であるとみうること、当時の風速は、前認定(第二、三、1(三)(3) 参照)のとおり毎秒四・三メートルであつて、さほどの強風ともいえず、水面上に拡散した石油類の燃焼の速度にさして影響を与えるものとも思われないこと、また、NO一写真によれば、たしかに燃焼が、その北方は三菱金属工場および昭石旧工場の北端(堤防)に達してはいるが、この状態は煙の上り方等に徴すると北端に達した直後と推認しうるし、その南方は乙第一六号証の二によつて認められる石油類の拡散状況に徴し、なお延焼の余地があると考えられ、燃焼全体としてはまだ延焼が一応の限界に達したか達しないかの段階にすぎないことがそれぞれ認められるので、これらのことを考慮すれば、乙第二五号証の一にいうごとく、燃焼の中心部分をもつて出火場所を推定する一つの資料とすることも、あながち許されないわけではないというべきである。ただし、そうであるとしても、すでに述べたように、NO一写真の煙の南端はほぼ甲第一九号証の一中の第一図に示すところが正しいと考えられるので燃焼の南北の中心部分は乙第二五号証の一にいう所よりもやや北方にあたるほぼ第四資材倉庫ないし木工場付近と認めるのが相当である。つぎに、<2>の方法についてであるが、本件第二火災の延焼方向を個々的に調べその方向の分岐点を探究する方法と本件におけるその適用は出火地点を判定する一方法としてほぼ肯定できるところである。なおNO一〇写真の建物の焼燬度と延焼方向との関係については建物が石油類に囲まれ、すみやかにその周囲が燃焼を始める場合には必ずしもその焼燬度に差が生ずるものとも思われず、また、右NO一〇写真から建物の焼燬度の差を読みとることは必ずしも容易とはいえないが、逆に乙第二五号証の一でいうことが全く根拠のないものと断ずることもできず、他の方法とあわせてこれも出火場所の断定の一つの資料とすることはできるというべきである。ただし、<3>の方法については、NO一写真の断続的な火災の存在は特別の燃焼状態の存することを示すものではあろうが、これをもつて出火地点を推定する一つの方法とすることは妥当でないと思われる。

以上によれば、燃焼中の本件第二火災を撮影したこれらの写真による限り、本件第二火災の出火場所は、三菱金属工場の木工場および第四資材倉庫をも含み、第三資材倉庫を含む範囲の中であると推認するのが相当である。

(ハ) 消防庁等の報告などについて

さらに、出火推定地域等に関する総括的な判定を下したものとして乙第一二号証の一(新潟市消防長が消防庁あてに作成提出した本件第二火災の原因調査に関する中間報告)の一および三ならびに右中間報告を基礎に作成された乙第二号証(消防庁編・新潟地震火災に関する研究)の二および七があり、これらはいずれも本件第二火災の出火推定地域を新潟アスフアルト工場と三菱金属工場の境界付近(新潟アスフアルト工場の北東部分、昭石旧工場のNO四、五、七、八のタンク群の一部三菱金属工場の資材詰所、第三資材倉庫、木工場、第四資材倉庫、機械工場、接点室、荷造室、銅粉工場、大手焼結室をほぼ含む南北に長い楕円形の範囲)であるとしており、証人五十嵐久男(第一回)、同堀内三郎の各証言によれば、これらの地域は、乙第一二号証の場合は新潟市消防調査員の調査結果、目撃者の供述、航空写真等を参考として判定したものであり、乙第二号証の場合は検甲第二号証(航空写真)にとくに重点を置いて判定がなされたものであることが認められるが、これらは上記の作成の経緯に徴し、また当裁判所がすでに検討した前掲の各証拠等に照し、いずれもほぼ誤りがないと考えられる。

そして、さらに前掲証人五十嵐久男の証言(第一回)によると新潟市の消防署においては、出火推定区域を前記乙第一二号証の三のとおり判定したが、これに先立ち、右の区域の中で火源となりうるものとして三菱金属工場の第三資材倉庫内の海綿鉄粉による自然発火の可能性について調査し、新潟大学にその検討を依頼していたことが認められ、また、これを裏付けるものとして、証拠保全の現場検証の結果によれば、右の第三資材倉庫の焼跡から、後に述べるように、ヘガネス鉄粉が自然発火して生成したものである可能性が相当に高いと判断できる鉄粉塊状の物質(検甲第五、第六号証、検乙第二ないし第四号証)が発掘されたことが認められ、他にこれに反する証拠はない。

(ニ) 以上個別的に検討した結果を綜合すると、出火場所は断定することはできないにしても、ほぼ前記乙第一二号証の一、同第二号証の推定区域(もつとも、そのうち、三菱金属工場の資材詰所と昭石旧工場の東北隅に所在するNO三、四、五、七のタンク群は右の推定区域から除くべきであり、大手焼結室もその全体が含まれるというよりはその一部が含まれるにとどまると考えられる。念のために別紙第二図に当裁判所の推定した出火推定区域を図示することとする。)中の三菱金属工場の第三資材倉庫あたりと推定することができる。

(6)  本件第二火災出火時の具体的状況

本件第二火災の出火時の具体的状況に関する証拠としては乙第二号証の二および一〇、同第五号証の二、同第六号証の二、同第一二号証の一の九、同号証の二の四ないし七、九、一一、同第二〇号証の一ないし三、同第二四号証、同第二五号証と証人浅野、佐藤(正)、宮田、吉田、針貝、風間、成田、今井、高橋、箱田、小柳、吉川、石橋、羽賀、保苅、大石、石川、渋谷、北川(第一回)、安藤の各証言があり、これらの内容、ことに目撃者の証言ないし供述はその表現が相互に微妙に食い違つているが、これらを綜合すると、前推定の出火時刻、出火場所において、白つぽい一条の煙が炎とともに立ちのぼり、それとほぼ同時にまたはそれよりやや遅れて、かなり大きな爆発現象が生じ、右の白つぽい煙が間もなくすみやかに黒煙に変わり、大規模の石油火災の様相を呈するに至つたことがほぼ認められる。

(イ) まず、白つぽい一条の煙については、目撃者のほとんどがその存在を供述し、その煙の色は、白つぽいがやや茶色がかつていた、その煙の高さは、建物の屋根よりは上であつたがさほど高くはなかつた、その煙の巾も、一条のと形容するのが適当な程度でさほど大きくはなかつたと述べている。

(ロ) つぎに、爆発現象については、目撃者のうち本件第二火災の際爆発音を聞いたと供述する者が多く、とくに聞いていないとするのは浅野、針貝両証人の供述くらいであり、それも積極的に爆発がなかつたというのではなく、とくに聞いてはいないというにすぎない。もつとも、その時刻、大きさ態様等についてはかなり食い違つており、一条の煙を見てから、四、五秒後ないし一〇秒くらい後に爆発音を聞いた(石川、渋谷証言)、煙が出はじめた際にドラム罐の破裂するような音がした(吉田、成田、針貝証言)、にぶい音がした(風間証言)、ドカンというわりあい大きな音がした(今井証言)あるいはゴー、ボーツという音がした(佐藤(正)証言)、火の手を見て逃げる途中、一〇分ないし一五分後にフエンスの所で、砂山の所まで来て、ドカンという爆発音を聞いた(佐藤(正)、宮田証言)、平和町の砂丘上の自宅にいたところ爆音、爆風があり、窓ガラスが割れた(高橋、箱田証言)、地震および火災が治まつてからのちに家に帰つたとき窓ガラスが割れていた(大石、小柳証言)、数日後に帰つたとき、三菱金属工場の正門近くの自宅のドアが壊れていた(佐藤(正)証言)等様々である。しかし、これらのうち、石川、渋谷証言は前示のとおり(第二、三、1、(三)(5) (イ)参照)措信できるし、高橋、箱田、大石各証言も乙第二〇号証の一ないし三および当裁判所の現場検証の結果に徴し信憑性がある。なおこのような爆発現象が石油類火災の性質上本件第二火災が拡大してからその火災中に起つたのではないかとも考えられるが、前掲の証言等により、出火当初に、前記の出火推定場所の付近で起つたものと認められる。

さらに、乙第二五号証は、NO一二ないし二一、二五、二六、二九ないし三五写真により、立木の残骸、散乱している立木の枝、半倒壊して南側に傾斜する立木、高度に破壊された万年塀、高度に破壊された煙突、新潟アスフアルト工場中央南寄りの焼燬状況、三菱金属工場事務所付近の焼燬状況、第三資材倉庫の焼燬状況をそれぞれ指摘し、これらの焼燬状況から推論して、三菱金属工場第三資材倉庫内の炭酸バリウムが格納されていた位置付近(乙第二五号証の一による出火場所)を中心に、出火時に爆発現象が起きたものと考える旨述べているので検討するに、これら乙第二五号証の指摘する焼燬状況のうち、NO二六写真の分析に基づく三菱金属工場の事務所付近の焼燬状況について述べる部分は、甲第一九号証の指摘するとおり、同写真が右の事務所付近を撮影したものではなく、その西方にある同工場資材詰所付近を撮影したものであることが明らかであるから、誤認に基づくものというべく、直ちに採ることはできない。また、万年塀の破損状況について述べている部分は、確かに乙第二五号証の写真によれば、同号証の一のいうごとく、三菱金属工場と昭石旧工場ないし新潟アスフアルト工場との境界をなすコンクリート塀のうち、新潟アスフアルト工場の中央部付近のやや北側に沿つた部分のあたりが倒壊するなど他の部分に比して破損度が高いことは認められるが、これが爆発によつたものであると認むべき証拠はなく、また被告らが主張するごとく鉄粉に関する爆発によるものであるとするには、その位置が乙第一二号証の一の七および証拠保全による現場検証の結果によつて認められる鉄粉の存在位置よりも南にずれることになり疑問があるので、右万年塀の倒壊が出火時の爆発現象によるものであると速断するのは相当でないというべきである。しかし、その余の部分については、たとえば検甲第四号証によると、安藤意見書添付の写真は現場に木材が搬入されたのちのもので、火災後一定の日時を経過して撮影されたものであると認められることなどからなお若干の疑問がないではないがほぼ同意見書の指摘するような現象が認められるので、これによれば、同意見書のように狭い範囲に特定することは困難であるにしても、三菱金属工場の第三資材倉庫の北西部を中心とする地点付近でなんらかの爆発現象が起つたと推認するのが相当である。

なお、乙第二四号証および北川証言(第一回)も万年塀の倒壊、煙突の破損、新潟アスフアルト工場の壁面への炭酸バリウムの付着等の事象を指摘するので検討するに、前二者の事象は同証人自身が証書中で供述しているように、爆発現象ことに出火時に爆発現象が存したことの証拠になるとは必ずしもいえないというべきであるが、炭酸バリウムの付着の事象は乙第二五号証書の指摘する事象とともに爆発現象があつたことを認定すべき一つの資料となりうるものと考えられる。

(四) 本件第二火災の昭石旧工場および新潟アスフアルト工場への延焼

以上のようにして出火した本件第二火災がまたたく間に浮遊油を伝つて燃え広がつたため、消防活動も手の施しようもない状態で、たちまちのうちに新潟アスフアルト工場および三菱金属工場の大部分を焼燬し、さらに昭石旧工場北部全般にわたる火災に拡大したこと、翌六月一七日未明には鉄道引込線(別紙第二図参照)を越えてその南方にあつた石油類タンクおよび施設に延焼し、さらに冠水して水没の状態にあつた運河と称する水溜りを越えて延焼は拡大し、同日午前八時頃運河西方のタンク群を誘爆して炎上させ、黒煙は天を覆い、その火災は第一火災をしのぐ猛烈な火勢で同日午後三時頃までの間に本件保険の目的の全部または一部を焼尽するに至つたものであることは、当事者間に争いがない。

2  本件第二火災の出火当時における現場の火気の状況と出火原因

(一) 現場における火気の状況

(1)  三菱金属工場

乙第一二号証の一の一、五、六、一〇、同号証の二の一ないし一〇および同第一六号証の一、二によれば、三菱金属工場は、ダイヤビツト、タングステン線、モリブデン線等の製品について原料から製品製造までの一貫作業を行なつていたこと、同工場には火気使用個所として工場内の各所に、水素炉が計六七基、水素炉以外の炉が計二七基、天然ガスの使用されていたガス器具が七七器、電熱器が五五器備えつけられてあり、このうち、水素炉は同工場の東側部分にある水素ガスタンクからパイプにより水素の供給を受けており、また天然ガス器具は水素ガスタンク付近に存する天然ガスタンクよりガスの供給を受けていたものであるが、本件地震当時現実に使用していたものは別紙第五図<省略>のとおりであること、本件地震に際し、これらのうち水素炉およびガス器具については地震によつて水素タンクおよび天然ガスタンクとパイプの接続部分が破損切断され、このため数分のうちに水素および天然ガスが空中に放出し、したがつて同工場内の各水素炉およびガス器具への水素ないし天然ガスの供給がストツプした(なお、水素ガスタンクおよび天然ガスタンク自体は爆発も焼損も認められない)こと、大手焼結室の水素炉その他の炉の多くのものは点火等の作動を電源によつていたし、各種電熱器ももとより電源によつていたが、本件地震による停電のため、右の電源が切断されたこと、また、三菱金属工場では、本件地震後すみやかに各係員がそれぞれ火気の使用場所等を点検し、安全を確認したうえで退避していることがそれぞれ認められ、他に右認定を覆するに足る証拠はない。

(2)  昭石旧工場および新潟アスフアルト工場

乙第二号証の三、同第一二号証の一の一、乙第一三号証の一と証人中川雪郎、前掲証人風間、成田、保苅の各証言によれば、昭石旧工場で本件地震発生当時火気を使用していたのは、<1>第一図面(D)地区の第二トツピング加熱炉、<2>第一汽罐室(ボイラー室)、<3>現場休憩室の電熱器の三カ所であつたが、本件地震と同時に構内はすべて停電となり、このため<1>のトツピング加熱炉の電源による送油は停止されたが、さらに昭和石油の係員が送油バルブを締め、バーナー管を炉から抜き出して、火が消えたことを確認したこと、<2>の気罐室についても、送油バルブの電源は地震に伴う停電により切断されていたが、係員が同様に送油バルブを締め、さらに消火器によつて炉内の火を消したこと、また、<3>の現場休憩室の電熱器は停電によりまもなく冷却したことがそれぞれ認められ、他にこれに反する証拠はない。

また、乙第二号証の三、同第一二号証の一の一、同第一五号証の一および証人佐藤茂雄の証言によれば、新潟アスフアルト工場では、当時加熱溶融したアスフアルト鍋の中にフエルト類を入れて「アスフアルト・フエルト」や「アスフアルト・ルーフイング」を加工製造していたが、当日は、攪拌機一か所、滲透鍋二か所および溶融鍋四か所でそれぞれ重油バーナーを使用していたところ、ちようど正午の休憩時間に入つたので火を止め、午後一時から作業を開始すべく準備中に地震が発生したので重油バーナーに点火せず、作業を中止したままの状態であつたこと、炉は耐火煉瓦造で鉄板製鍋を使用し、鍋の下方を重油バーナーの直火で熱する構造のものであつたが、炉内の温度は推定約摂氏七〇〇度であり、タールは摂氏七〇ないし八〇度まで、またアスフアルトは約摂氏二二〇度まで液温を上げて操業することになつており、これらの温度は火を消してからも通常は急激には低下せず、摂氏二二〇度に熱せられたアスフアルトは二四時間後でも約摂氏六〇度下る程度であるが、右各炉は半地下式の炉であつたため、本件地震によつて湧出した地下水がこれら炉の中に入り、これにより炉内の温度は通常の場合よりは急速に低下したものと推認されること、また、同工場では使用のためのLPガスのボンベは、同工場係員が点検して本件地震直後にそのバルブを締めたことがそれぞれ認められ、他に右認定を覆すに足る証拠はない。

(二) 本件第二火災の出火原因

(1) 被告らの主張

本件において、被告らは、本件第二火災の火元の火災の火源あるいは出火原因として四つの仮説を掲げ、これらはいずれも十分な可能性があると主張するので、以下これについて検討する。

(イ) 第一火災からの「とび火」または「類焼」による出火説

甲第一七号証、乙第一二号証の一の一と前掲証人五十嵐(第一回)、同堀内の各証言によれば、まず「とび火」については、第一火災により燃焼していた物質は原油であつて、しかもその付近にあつたものは鉄材やコンクリートなどの不燃性材料のみであり、とび火の原因となる「火の粉」を作るものがなかつたことが認められるから、第一火災からの「とび火」による可能性は認められない。もつとも、右の書証等によれば第一火災の出火点となつた五基の巨大な原油タンク群の東南方には、数戸の普通建物があつて類焼していることが認められるので、第一火災のずつと後期には「火の粉」の発生も絶無とはいえないが、当時の風向が北ないし北北東であつたことは前示のとおりであるから、その反対方向に当たる本件第二火災の方への「とび火」は考えられない。つぎに「類焼」について、その原因としては、第一火災と本件第二火災の中間にある木造家屋などの可燃物を媒体として次ぎつぎと延焼してゆく経路が想定されるが、乙第一七号証の一によれば、第一火災と本件第二火災の中間にある平和町の社宅群がほとんど焼けないで残つていることが認められるから、その可能性も否定されるというべきであり、また、本件第二火災の出火場所付近一帯に拡がつた浸水上のガソリン等の可燃性混合気体が、北風に乗つて南方に流れていつて第一火災の地点に達し、その気体に引火して延焼したのではないかとも考えられるが、もしそのような現象が起つたならば、たとえ一瞬の間であつても、可燃性混合気体の燃焼による非常に大きな炎の流れが見られたはずであるにかかわらず、前掲の書証等によれば物見山をはじめ多くの地点に避難中の多数の人びとが火災現場の方を見守つていたのにだれ一人としてそのような現象を目撃した者がいなかつたことが認められるばかりでなく、中間地帯の社宅群がほとんど焼けないで残つていたことは前示のとおりであり、また、前掲書証等によれば、十数人以上の人びとが社宅群の北側道路付近にいてなんらの被害も受けず、そのうちの何人かはその当時の位置からみてほぼ北北西に当たる本件第二火災の出火点の方向に火の手が上がるのを目撃していたことが認められるから、右の可能性もないというべきである。これらの点に関し証人大石静雄の証言中には、同人が本件地震に際し平和町の居宅から退避し、その後二、三日して家に戻つたときに屋根の上に親指くらいの大きさの白つぽいペンキのもえかすのようなものが発見された旨の供述部分があり、これによれば第一火災から「火の粉」が飛来したかのごとくであるが、しかし、乙第一七号証(一ないし三)の現場見分によればそれに類似するような「火の粉」の存在は認められないから、右の大石証言をもつて直ちに第一火災から「火の粉」の飛来があつたと認めるのは相当でない。他に「とび火」ないし「類焼」説を認めるに足る証拠はない。

以上のとおりであるから、第一火災からの「とび火」または「類焼」によつて本件第二火災が出火したとの被告らの主張は採用できない。

(ロ) 昭石旧工場、新潟アスフアルト工場および三菱金属工場内の各種加熱炉の余熱による出火説

右各工場における第二火災発生当時の火気の状況としてすでに認定した事実に甲第一七号証、乙第一二号証の一の一と証人五十嵐(第一回)、同堀内の各証言を綜合すると、まず、昭石旧工場内ないし新潟アスフアルト工場について、昭石旧工場の加熱炉等は前記認定の出火場所の区域の外にあるばかりでなく、新潟アスフアルト工場の加熱炉等も含めて、本件地震直後消火の措置がとられたこと、その後もこれらの加熱炉等の温度は直ちには下らないとしても徐々に冷却したものと考えられるから、前示の浸水面上に浮んだガソリン等の可燃性混合気体に引火する可能性は時間の経過とともに次第にうすれていつたとみるのが相当であり、前示出火時刻たる午後六時すぎ頃になつて突然右の「残火」ともいうべき熱源による出火が起る可能性はほとんどなく、ことに、発火場所の推定地域に含まれる新潟アスフアルト工場の場合には、同工場の各種炉、鍋およびタール類は温度の低下が緩慢ではあるが、前示のとおり、これらの炉等がいずれも半地下式で設置されていたため本件地震に際して炉の中に地下水が侵入していたので、水の冷却作用および水が蒸発する際の吸熱作用によつて、炉の温度は、水が炉内に侵入していないときよりも速やかに低下したものと考えられるから、同工場の炉等からの出火の可能性はないというべきである。つぎに、三菱金属工場内の各種炉等についてであるが、前示のとおり、同工場内には水素炉、水素炉以外の各種炉、天然ガス器具および電熱器が配置されており、これらはいずれもその作動等に電話を用いていたものであるところ、本件地震と同的に同工場内はすべて停電し、また、水素ガスも天然ガスもタンク付近のパイプが欠損して供給が停止していたものであるから、これらの炉およびガス器具等は時間とともに冷却する一方であつたというべきであるので、これらの熱源から本件第二火災の出火時刻である午後六時頃になつて突然出火する可能性はほとんど考えられない。他に前記三工場内の各種加熱炉の余熱による出火の可能性を認めるに足る証拠はない。

以上のとおりであるから、この点に関する被告の主張も採用することができない。

(ハ) 三菱金属工場大手焼結室の焼結炉からの出火説

さらに三菱金属工場の大手焼結室の焼結炉についてみるに、前認定の同工場内の火気の状況に関する事実に甲第一七号証、乙第一二号証の一の一、証人五十嵐(第一回)、同堀内の各証言を綜合すると、右の大手焼結室では本件地震当時二基の焼結炉を使用していたこと、この炉内には高温の水素ガスが外気圧よりも少し高圧になるように充填されて、操業中わずかでも空気が混入して爆発することを防止するようになつていたことがそれぞれ認められる。ただし、本件地震により炉の一部に亀裂などが生じるか、または水素ガスの供給が止まつて炉の内部の圧力が下がり、そのため炉の製品取出口などの隙間から空気が侵入するような事態が起これば、爆発出火する可能性も考えられるのであるが、炉の熱源は電熱であり、本件地震直後の停電により炉内の火は消え、その後は冷却する一方であつたことは前示のとおりである。したがつて、上記の大手焼結室の焼結炉についても午後六時頃になつて突然爆発出火の起こる可能性はほとんど考えられない。他に大手焼結室よりの出火の可能性を認むべき証拠は見当たらない。

以上のとおりであるから、この点に関する被告らの主張も採用できない。

(ニ) 鉄粉の自然発火説

この説は、本件において最大の争点となつているので、次項3において詳細に検討することとする。

(2)  原告らの反論-放火・失火の可能性-について

ところで、原告らは、本件第二火災の火元の火災の出火原因に関する上記被告らの主張に対し、その反論として、右火元の火災が本件地震と因果関係のない放火または失火によつて生じたものである旨主張するので、この点について検討を加えることとする。

甲第一七号証、乙第二号証の三、同第六号証の一、同第一二号証の二の一ないし一一と証人吉田、佐藤(正)、浅野、今井、五十嵐(第一回)の各証言によれば、当日午後二時三〇分に新潟市火災対策本部から、日本海沿岸および信濃川両岸地区の居住者に対して津波による避難命令が出されたこと、また、昭石旧工場、三菱金属工場、新潟アスフアルト工場の各工場からもそれぞれ各従業員に対し避難命令が出されたこと、付近の住民ならびに右各工場の従業員が一旦は市内の物見山などに避難したこと、その後、本件第二火災が発生した午後六時すぎ頃までには津波警報は解除され、避難した人たちの中には自宅から応急日用品を持ち出すなどのために三菱金属工場付近の住居等に立ち戻つて来ていた者も何人かはあつたこと、これらの中の三菱金属工場の従業員と思われる者(この人数は確定できないが二、三名ないし一〇名程度)が同工場の構内に立ち入つたことがそれぞれ認められるから、このように三菱金属工場構内に人が立ち入つていた以上、これらの者が故意または過失によりたばこの火を捨てるなどして、本件第二火災がひき起された可能性はこれを全く否定することはできないというべきであるが、しかし、これらの者がことさらに放火をするなどということはほとんど考えられないし、また、失火の点についても、前示のように三菱金属工場構内のほぼ全域に石油類が拡散浮遊している状況のもとでは、なんらかの火気により直ちに大規模な火災をひき起こし、ひいては自らも重大な危険に直面するはずであるから、上記構内に立ち入つた者はすべて火気には万全の注意を払つていたものと考えられるのみならず、仮になんらかの火源を作出する者があつたとしても、火災の痕跡を自らの身体、被服等にとどめていないはずはないのにかかわらず、本件全証拠によつてもそのような者がいたことは認められない。したがつて、原告ら主張のごとき本件地震と因果関係のない放火、失火による出火の可能性はほとんどないというべきである。甲第一七号証(消防庁編の「新潟地震火災に関する研究」と題する報告書)では普通の失火による出火の可能性も否定できないとしているが、その報告者である前掲堀内の証言によると、右の記載の趣旨は要するに構内に人が立ち入つていた以上失火の可能性を完全には否定することはできないという程度にとどまるものであることが認められるのであるから、これをもつて、前記の結論を左右することはできない。

なお、原告らは、本件第二火災の出火状況として当初白つぽい煙が立ち上つたが、これは石油類の燃焼によるものとはいえず、むしろ木材等の燃焼する通常の火災によるものと考えられ、また、出火場所も三菱金属工場の事務所付近であるからこれらのことから放火、失火の可能性は否定されないと主張するもののごとくであるが、これらのことから直ちに放火または失火による出火の可能性があると推論するのは妥当でないというべきである。

3  鉄粉の自然発火説

さて、被告らは、本件第二火災の火元の火災の出火原因ないし火源として、本件地震当時三菱金属工場の第三資材倉庫内に格納されていたへガネス社製海綿鉄粉が侵入した水(海水)および空気(酸素)と作用することにより漸次発熱し、発熱に伴い発生した水素その他の可燃性ガス(気化油を含む。)に引火して爆発発火を惹起するに至つた公算が大である旨主張するので、この点につき判断する。

(一) ヘガネス鉄粉の格納状況および同鉄粉への浸水の可能性

(1)  まず、三菱金属工場の第三資材倉庫内におけるヘガネス鉄粉の格納状況をみるに、甲第一七号証中の図面、乙第一二号証の一の一、同号証の一の七、同第一六号証の一および二、同第三二、三三号証、証人五十嵐久男(第二回)、同谷清一の各証言と証拠保全の現場検証の結果によれば、三菱金属工場の西側、新潟アスフアルト工場との境界付近に三菱金属工場の第三資材倉庫が存在し、同倉庫は木造瓦葺平家建で、東西約一五メートル、南北約三八・四メートルの南北に長い建物であつたこと、同倉庫の中に別紙第六図<省略>(三菱金属工場第三資材倉庫内格納品配置図)に記載の各物品がほぼ同図面記載の位置配置関係で格納されていたこと、しかし右図面(甲第一七号証中のものおよび乙第一二号証の一の七と同じもの)は、当時の新潟市消防職員谷清一が本件第二火災がやんだのちに現場に赴いて焼残物ならびに三菱金属工場係員の説明等に基づいて作成したものであり、格納物品の品名とその相互の位置関係は同図面記載のとおりほぼ誤りないものと推認されるが、同図面は格納物品の大略の配置順序を明らかにしたにすぎないものであつたので図上の配置位置は必ずしも正確ではなく、証拠保全の現場検証の結果と対比してみると、倉庫の東側中央の出入口や倉庫の北側部分に記載されている格納物品は全体的に南の方にずらして記載するのが正確であること、右倉庫内の北側部分の二か所にスウエーデン、ヘガネス社製海綿鉄粉(MH一〇〇-二四、メツシユ一〇〇~二〇〇)が約九〇トン格納されていたこと、右鉄粉はいずれもクラフト紙製の紙袋に五〇キログラムあて袋詰になつており、約一、八〇〇袋が倉庫内の二か所に段積みされていたこと、その一袋の大きさは縦約六三センチメートル、横約三二・五センチメートル、高さ(厚さ)一〇ないし一二センチメートルであつたこと、倉庫内の床は格納物品の性質上大部分がコンクリート張になつていたが、右の鉄粉袋はその上に縦約一・五メートル、横約一メートル、高さ約一〇センチメートルの木製パネルを敷き並べ、この上に段積みになつていたこと、右鉄粉の位置は倉庫の中央通路の西側のものはおおむね倉庫の北端より南へ約八メートル西端より東へ約二メートルの付近を中心に、北から五メートルないし一六メートル、西から五メートルの範囲内に格納されていたと推定しうること(後記証拠保全の現場検証における鉄粉塊発掘状況を参照)、右の鉄粉袋は本件地震の発生した昭和三九年当時はクラフト紙を一二枚重ねにし、外側から二枚目、八枚目および一二枚目に防水加工が施されており、開口部は内側六枚は袋の口を折りたたみ、外側六枚は袋の口をしぼつて針金をひねて止め、底部は六枚あて折りまげてホチキス止めにし、側部は片側がのりづけになつていたものである(昭和四一年末頃からクラフト紙八枚重ねで外側から四枚目および八枚目が防水加工されたものに変つたが、その他の点では変りがない)ことをそれぞれ認めることができ、右認定を覆すに足る証拠はない。ただし、右の鉄粉袋が何段積みになつていたかは前掲の証拠によつても明らかでないので、推測によるほかはないが、仮に一〇段に積んでいたとするとその床面積は約三六平方メートル(一段につき1.800袋÷10段=180袋で、一袋の平面積が約〇・二平方メートルであるから、その占める床面積は180袋×0.2平方メートル=36平方メートル)であり、二か所にほぼ同様に分けられていたとすると(実際には西側の方が多量に段積みされていたのではないかと推測されるが)、一か所一八平方メートル(一辺が約四・二メートルの正方形、あるいは縦三メートル横六メートルの長方形)で高さが約一メートルないし一・二メートルとなり、また仮に二〇段に積んでいたとすると右同様の計算により一か所あたり約九平方メートル(約三メートル四方)で高さが約二メートルないし二・四メートルになるから、鉄粉袋の形状、その段積みにした場合の安定性などを考えあわせると、ほぼ一〇段前後それより高くてもせいぜい二〇段までと推測するのが相当である。

(2)  つぎに、ヘガネス鉄粉の紙袋に水が侵入する可能性があつたかどうか、また、第三資材倉庫付近には地下水が湧出し、同時に新潟港付近で堤防の決壊と津波による海水の流入があつたことは前認定のとおりであり、海岸線近くにおいては地下水に海水が混入することがあるとされているものであるところ、本件地震の際、本件第二火災の発生するまでに三菱金属工場の第三資材倉庫付近に浸水した水ないし海水と鉄粉が接触する可能性があつたかどうかについて検討するに、鉄粉袋の浸水性については被告側の実験の結果(乙第三三号証)と原告側の実験の結果(甲第二三号証の二)とがあり、両者はまつたく異なつた結論に達している。すなわち、乙第三三号証では、水は紙袋の開口部および底部より侵入し、内部の鉄粉の約三分の二が浸水して、浸水部分の鉄粉は塊状に凝固していたというに対し、甲第二三号証の二では、防水加工を施したクラフト紙は一枚だけを用いた場合でも十分水を遮断する能力を有し、また、紙袋を水に浸漬させても包装紙ならびに袋の開口部の水遮断能力は十分であるとしている。ところで、甲第二三号証では紙袋に用いられたクラフト紙について濾過装置を用いて水を通すかどうかの実験を行ない、その結果通常のクラフト紙は水を通すが、防水加工を施したクラフト紙は圧力の操作によりある程度苛酷な条件を与えても一昼夜以上全く水を通さない結果が得られたとしており、この点は首肯できるのであるが、しかし、同号証が五〇キログラムの鉄粉入紙袋(厚さ一二センチメートル)についてこれを水槽中に置き、当初は底部から四センチメートルの位置まで浸漬して七時間、さらに底部から一〇センチメートルの位置まで浸漬して一七時間を経過させたところ、水槽中の水位ならびに各部の温度には変化は全く認められなかつたとしている点は、四センチメートルまで浸漬させた場合に開口部の針金しばりの個所および底部のホチキス止めの部分にまで水位が達したかどうかにつき疑問なしとしないし、一〇センチメートルまで浸漬させた場合には右のような疑問はないが、水位の減少をどの程度厳密に測定したかは同号証および右実験に関与した証人安井信朗の証言から必らずしも明らかでなく、水位の低下が目で現認しえなかつたことから直ちに鉄粉への浸水がないと断定したのは疑問である。これに対し、乙第三三号証では、通常のヘガネス社製海綿鉄粉の紙袋をプラスチツク製容器に納め紙袋全体を浸漬したところ、三時間後に水が鉄粉に浸入し、浸潤した鉄粉が一部分塊状に凝固したというのであるから、とくに実験の手順その他に問題とすべき点があれば格別、この実験の結果を採用して紙袋全体を水に浸漬させることにより紙袋の内部に水が侵入しうるものと認めるのが相当である。

のみならず、本件の場合、本件地震に際して前認定のごとく新潟市における震度が五ないし六という強度の地震であつたため、前記の段積みされた鉄粉袋は当然荷くずれが生じていたはずであり、そして、鉄粉袋は一袋五〇キログラムで全体で九〇トンも積んであつたのであるから(ただし二か所にわけてではあるが)、その際、その重量と衝撃により当然紙袋の破損が生じたものと推認しうるので、前記の海綿鉄粉が海水と接触したことはほぼ間違いないというべきである。

(二) ヘガネス鉄粉の自然発火の可能性

(1)  自然発火の原理および鉄粉の性質

(イ) 乙第二六号証の一および同第三四号証によれば、物質の酸化反応などがその物質の発火温度に比べて低い温度で行なわれる場合には、反応の速度はそれ程大きくはないが、この場合にも反応熱は反応速度に相応して発生しているはずであるところ、もし単位反応の反応熱がある程度大きく、かつ熱の放散状況が悪い場合には、初めの温度はたとえ低くても、長時間の間には反応熱の蓄積によつて温度は上り、しかも温度の上昇に伴い反応速度は顕著に増加するので、ついには熱の発生速度が逸散速度を上回り、発火が起る可能性が生ずるが、このような反応系の初めの温度は低いにもかかわらず、反応熱の蓄積により発火する場合に、この現象を自然発火といい、とくに、発火までは至らないが反応系の温度が相当高くなる場合に、これを自然発熱と呼ぶこと、自然発火に影響する因子として、<1>物質の酸化あるいは分解のときに発生する反応熱が相当に大きく、かつ熱の蓄積に良好な状況であること、<2>酸素の供給と物質の比表面積の大きい程自然発火に有利であること(この点から粉末は自然発火しやすい状態にあるといえる)、<3>反応系の初めの温度は高い程条件がよいこと、<4>種々の触媒利用が存在することが自然発火に関する原理であること、また、金属(鉄粉を含む。)の自然発火はその化学的活性の程度および物理的状態に左右されるが、化学的活性の点では一般に鉄の場合には活性は比較的小さく、物理的状態の点では粉末のような状態であれば熱の伝導度が小さく自然発火の条件として有利であり、鉄粉ないし細片状態の鉄が大量に堆積されていると危険性が高いこと、鉄粉の自然発火にとつて水分、湿気が不可欠であり、酸、アルカリ類の存在にも影響されること、鉄粉とくに還元鉄粉の新鮮なものはきわめて酸化されやすく、空気中でも摂氏五二五度ないし七〇〇度の温度を与えれば発火することが鉄粉の自然発火の原理であることが認められ、これに反する証拠はない。

(ロ) 乙第二五号証の三の(ロ)、(ハ)、(ホ)、同第三〇、三一号証および同第三五号証によれば、鉄ないし鉄粉の性質として、鉄は第VIII族の金属であるが、その化学的性質は一般的にいつて酸素との親和力が大きいため酸化されやすく、酸化の過程で発熱し、細粉状のものは自然発火性すらあること、鉄には二価の第一鉄と三価の第二鉄とがあり、鉄の酸化物には酸化第一鉄(FeO)、四三酸化鉄(Fe3O4)、二三酸化鉄(Fe2O3)の三種があり、FeOは酸化の過程で生成するもので、水を徐々に分解し、また、空気中で自然発火する性質があること、Fe3O4は天然に磁鉄鉱として産出し、Fe2O3は酸化第二鉄とも呼ばれ、天然に赤鉄鉱として産出し、赤褐色で弁柄ともいわれ、顔料に用いられること、鉄は酸素と次式によつて反応し、Fe+(3/4)O2-(1/2)Fe2O3+97.6Kcal/mol 鉄の原子量をFe= 55.85とするとFe一グラムあたりの発熱量は一・七四(Kcal/gr)になること、一般的にいつて、鉄が粒状のときは熱伝導率の比較的小さい空気(または酸素)によつて包囲されているので、鉄粉粒子または燃焼によつて生成した酸化鉄粒子に燃焼熱が蓄積されやすいこと、実際にはこの熱量は周囲の気体等を通して熱伝導ないし熱放射によつて失われるが、仮に燃焼熱がこれらの粒子に蓄積したと仮定すれば、計算上粒子の温度は摂氏三、〇〇〇度に近い高温にも達するはずであること、また、鉄は水ないし水蒸気とつぎの反応式により反応し、Fe+(4/3)H2O→(1/3)Fe3O4+(4/3)H2+11.9Kcal/mol H2O が液体の場合には吸熱反応となるが(水の蒸発のため熱を奪われるためで、水との反応そのものは発熱反応であると考えられる。)、H2Oが水蒸気の場合には発熱反応で、実際にはこの発熱量は熱伝導あるいは熱放射により失われるが、仮に断熱的に反応熱が生成したFe3O4に蓄積するものとすると、計算上の温度は摂氏七五六度になることがそれぞれ認められ、これに反する証拠はない。

(ハ) 乙第二九号証の一、二、検乙第一号証および証人安藤直次郎の証言によれば、過去における鉄粉等の自然発火の事例として、鉄粉、鉄切削屑あるいはこれらの混合物を積載中の船舶あるいは陸揚げのため運搬中の艀において積荷の鉄粉等が雨水を受けたことにより自然発火して船火事が起つた事例、陸揚げされて空地に野積みされた鉄粉等が同様に自然発火した事例および小規模の工場内に鉄粉と鉄切削屑との混合物を積んでおいたところ、これらが自然発熱、あるいは自然発火して木造の工場が燃焼した事例などが、昭和三七年以来計九件もあること、そして、そのうちの一件については、降雨の中で積荷の陸揚げをしていた艀において積荷の鉄粉から白煙が上がり、これを放置しておいたところ、船室内に延焼して艀が炎上するに至つたこと、右のような鉄粉の自然発火による船火事の場合にはのちに鉄粉は溶融凝固して黒色の塊状となつていることが認められ、他にこれに反する証拠はないから、これらの事実は、上記(イ)、(ロ)において述べた鉄粉の自然発火の可能性を裏付けるものというべきである。

(2)  ヘガネス鉄粉の自然発火の可能性に関する理論および実験

以上検討してきたところによれば、鉄粉は一般的には酸素または水との反応によつて自然発熱し、ときに自然発火の可能性をも有するというべきであるが、甲第二〇号証、同第二一号証の各一、二および同第二三号証によれば、ヘガネスMH・一〇〇-二四は、スウエーデンのヘガネス社において磁鉄鉱粉をコークス、石灰とともに摂氏一、〇〇〇ないし二、〇〇〇度で還元し、粉砕、ふるい分けをした後、摂氏約七〇〇度で水素還元して製品にしたもので、五〇キログラムずつクラフト紙の防水加工を施した包装袋に入れられており、スウエーデンで船積後通常約五〇日を要して日本まで運搬されてくるものであること、このような還元鉄粉の反応性は、製造法によつて非常に差があり、その反応性の最も支配的な因子は還元温度であつて、摂氏四〇〇ないし五〇〇度程度の比較的低温で還元された鉄粉は反応性が強いが、還元温度の高い鉄粉は反応性が少なく安定性があり、また、低温で還元されて作られた鉄粉も再度摂氏六八〇度以上の温度に加熱すると非発火性にすることが可能なこと、さらに、鉄粉は比表面積が大きい程反応性は大きくなるが、ヘガネス鉄粉(MH一〇〇-二四)の比表面積は〇・〇八平方メートル/gで他の還元鉄粉に比べて最も小さい部類に属すること、したがつて、ヘガネス鉄粉はその製造条件、物理的化学的性状からみて、鉄粉の中では比較的反応性の少なく安定性のある鉄粉であること、ヘガネス社においては二〇年以上世界中に鉄粉を一〇〇万トン近く積出しているが、この間とくにヘガネス鉄粉が直接あるいは間接に火災の原因となつたとの報告ないし貯蔵中に通常の温度以上に温度上昇があつたとの報告はヘガネス社になされていないし、また、ヘガネス鉄粉についてスウエーデンの国立研究所において行なつた実験によれば、摂氏六〇度で水蒸気を飽和した空気を鉄粉の層に通じ(二〇〇グラムの鉄粉層に毎分一二〇ミリリツトルを通じる。)、加温(一〇〇分の間に摂氏二〇度から一二〇度に加温)しても鉄粉は全く発熱しなかつたこと、がそれぞれ認められ、これらに反する証拠はないから、これらによれば、本件で問題とされるヘガネス社製の海綿鉄粉は一般的には他の鉄粉に比し、安定した性状を有するものということができる。

そこで、さらにヘガネス鉄粉の自然発火の可能性があるか否かを具体的に検討すべきところ、この点に関し、被告らは「鉄粉の自然発火の可能性」と題する実験報告(乙第三六号証)、「鉄粉と水による発熱現象」(乙第三〇号証)、「金属粉の発火性に関する安全工学的研究(第一報)」(乙第三五号証)、「ヘガネス鉄粉(MH一〇〇-二四)の発火性に関する実験(第一報ないし第三報)」(乙第三八ないし第四〇号証)とこれに基づく意見書(乙第四一、同第四四号証)、さらに乙第四二号証、同第四九ないし第五一号証などを提出し、これに対し原告らは、ヘガネス社冶金研究所の実験報告書(甲第三二号証の一)、「ヘガネス鉄粉MH一〇〇-二四の水による発熱に関する調査、研究」(甲第二二号証、同第二三号証の一、二、同第三三号証の一、二、同第四〇号証)とさらにこれらに基づく意見書(甲第三一、同第三九および同第四一号証)などを提出しているので、以下、これらを検討しながら、この問題を少しく立ち入つて考察することとする。

(イ) ヘガネス鉄粉の空気による酸化

まず、空気中における鉄粉の酸化についてみるに、甲第三一号証と乙第四一号証によれば、ヘガネス鉄粉は空気と触れる表面で酸化が起り、この酸化は鉄粉の表面積(大きい程酸化が生じやすい。)、表面活性(酸素との反応の難易)、温度(高い程酸化に有利)、混入物などの因子に強く影響されるが、ヘガネス鉄粉の場合には粒子が小さく、かつ多孔質の海綿鉄粉であるから比表面積はかなり大きいが、類似製品の鉄粉の中では比表面積は必ずしも大きくはない(甲第二二号証)し、製造時に再加熱されて安定性が高められていることそして、酸化がすすむと鉄粉表面に酸化鉄の被膜を生成し、この酸化被膜が酸素を通さないため、酸化速度はきわめて遅くなること、しかもこの酸化被膜は乾燥した空気中では安定であることが認められ、他にこれに反する証拠はない。

(ロ) ヘガネス鉄粉の水ないし海水の存在下での酸化

しかしながら、甲第三一号証、乙第四一号証によれば、空気中における酸化でなく、水や海水を含む反応系では、上記と異なり、酸化被膜が安定でなく、発熱がすすみやすいことが認められ、これに反する証拠はないから、この点について通常の水の場合、海水の場合、水蒸気の場合とに分けて右の原理を検討する。

(i) まず、通常の水の場合には、乙第四一号証によれば、ほぼつぎのとおりと認められ、これを左右するに足る証拠はない。すなわち、鉄粉は水に会うと、電気化学的な反応を起し、まず水和した酸化第一鉄(FeO・nH2O)あるいは水酸化第一鉄(Fe(OH)2)となり、これらは空気中における酸化被膜よりは弱いが、鉄付近に存在して、鉄に対して一種の保護作用をする。この反応では、水中に存在する酸素が速度を支配し、酸素濃度が大きい程鉄の酸化速度は大きい。そして最終的にはより高度な酸化物である水和した酸化第二鉄(Fe2O3・nH2O)または水酸化第二鉄(Fe(OH)3)あるいは中間酸化物である水和した四三酸化鉄(Fe3O4・nH2O) などを生じる。鉄と水および空気の反応は発熱反応であり、その反応速度は空気中(水の介在しない場合)より大きいので、発熱量も増加する。しかし、水酸化物の保護作用と水の加熱のために熱を奪われることなどの故に、非常に大きな発熱は生じにくい。

(ii) つぎに海水の場合には、乙第四一号証、同第四二号証によれば、ほぼつぎの事実が認められる。すなわち、海水のように塩素イオンを含む系では、塩素イオンの作用により、鉄の表面に空気中における酸化の場合のような安定な被膜が生成することを困難ならしめ、また生成した被膜も破壊されやすいこと、そして、この海水による被膜の破壊作用は食塩の濃度がほぼ三パーセントのとき最大値をとる(空気が飽和した、室温の食塩水による鉄の腐食反応は食塩の濃度が三パーセントのとき最大となる-乙第四二号証)が、この濃度は海水中の食塩濃度にほぼ等しいから、鉄の酸化反応は海水を含んだ系で最も大きくなること、したがつて、鉄粉に海水が含まれると、海水中の水または酸素と反応し、あるいは海水の存在下で空気中の酸素と反応して水酸化物または酸化物の被膜をつくると同時に、この反応は発熱反応であるので発熱を生じ、この被膜は海水中に含まれる塩素のイオンのために破壊されやすく、したがつてまた、鉄が再び水または酸素と反応することが容易になること、こうして、引き続き酸化が生じ、発熱が継続する可能性が生ずる(乙第四二号証によれば、この際さらに酸素濃度が増大すると、反応速度は直線的に増加する。)ことがそれぞれ認められ、これに反する証拠はない。

もつとも、右については、この塩素イオンによる被膜の破壊の具体的な程度、したがつてまた酸化ないしこれによる発熱の速度が必ずしも明らかでなく、甲第三一、第三九号証によると<1>断熱条件のもとで鉄粉に海水を加えた発熱実験をした場合でも温度上昇は高々八〇度程度にすぎないことは、被膜がそれほど容易には取り除かれないことを推定させるに十分であるとし、また<2>仮に海水中の塩素イオンによつて被膜の安定性が損なわれるとしても、イオンは水溶液中でないと生成が著しく困難であるから、右のいわば被膜破壊作用の生ずるのは水の存在する間だけで、温度が摂氏約一〇〇度以上ではまつたく効果がないはずである旨の異論があることが認められるが、当裁判所は、つぎのように考える。

すなわち、<1>の点については、放熱の考えられない断熱条件のもとで鉄粉に海水を加えた実験には、甲第三二号証の一、同第三三号証の一と乙第三九号証(横浜国大実験報告第二報)とがあり、甲第三二号証の一の場合は断熱の条件が必らずしも明らかでないが、同号証中の第二回および第三回実験によると鉄粉が海水および空気との接触により約二五時間で(実際にははじめの温度上昇はよりすみやかで、第三回実験の場合には一部の熱電対は五時間で六七度に達している。)摂氏六〇度(第二回実験)、六〇ないし七〇度(第三回実験)に達したことが、甲第三三号証の一では海水を加えた場合の温度上昇(はじめの温度との差)は最高六九ないし六〇度であり、最高到達温度は摂氏九二度ないし九七度でいずれも一〇〇度を越えることはなかつた(時間は約二時間)旨が、また、乙第三九号証では空気を送入した場合ではあるが、摂氏約九〇度付近まですみやかに(約一時間で)上昇し(一次発熱)、ここで平衡状態に達する旨が、それぞれ報告されているが、いずれにせよヘガネス鉄粉に海水を加えた場合には摂氏一〇〇度近くまで一定の速度で温度が上昇するのであつて、この温度で温度上昇が止まるのはもつぱら海水の蒸発のため吸熱現象が生ずることによるものというべく、したがつて、ここまでの過程では、前記甲第三一、同第三九号証中の意見のいうごとく、海水による被膜の破壊ないし不安定化が非常に弱いということはできないと考えられる。なお、右のように当初の発熱(第一次発熱)は摂氏一〇〇度前後で一応止まるが、さらに空気送入を続けると、平衡が崩れて二次発熱を生じ、一〇〇度以上に温度が上昇すると考えられるのであるが、この点については、のちに詳論する。

<2>の点については、たしかに摂氏一〇〇度以上ではイオンは生成しにくいと考えられるが、証人若園吉一の証言によれば、反応系の温度が摂氏一〇〇度を越えて物理的には水が蒸発してしまつても、化学的には付着水ないし結晶水の形で水が残り、これらと塩素とが反応して効果を現わすことが考えられ、またこのような高温において生じた被膜は比較的壊れやすいとされていることが認められ、これに反する証拠はないので、温度が摂氏一〇〇度を越えたときに酸化被膜が生成し、このため酸化が極度に困難になるとはいいがたいと考えられる。

また、甲第三一号証によると、物質の発熱速度は酸化速度と単位量当りの発熱量の積によつて与えられるが、そのうち発熱量については実験の結果摂氏二〇ないし二五度の範囲においてほぼ八五cal/gr という値が得られているけれども、この値は木粉が熱によつて分解するときに発生する熱量一〇〇cal/gr より一層小さく、したがつてよほど酸化速度が大きく、かつ熱の逃げない条件でなければ蓄熱は生じない旨の異論があることが認められるが、この点につき、当裁判所はつぎのとおり考える。

すなわち、右の発熱量は、甲第三三号証の一の実験結果によるものであるが、証人秋田一雄の証言中にも述べられているように、発熱量は測定する熱量計の構造、発熱の条件等によつて必ずしも一義的な数値が得られるとは限らないし、また、のちに検討するようにいわゆる規模効果がある場合には発熱量の大きさよりも物質の量ないしその大きさの方が発熱発火にとつて重要な因子となるものであり、後述するように三菱金属工場の第三資材倉庫に格納されたヘガネス鉄粉を想定したときには、空気の供給がある程度困難であることを考慮に入れても大量堆積による規模効果が十分考えられること等を考え合わせると、単位当たりの発熱量はそれほど大きくなくても蓄熱の条件いかんでは自然発火の可能性があるというべきである。

さらに、甲第三一、第三九号証によると、これらの反応においては酸化のための空気が供給されることが必要であるところ、空気の供給が困難ではないかとの疑問があることが窺われるが、この点は規模効果の有無に関するので、のちに規模効果とあわせて検討するが、酸化に必要とされる空気の量および拡散の程度については、甲第三三号証の一の実験でも明らかなとおり、上部のみを開放したまほう瓶を用いて行なつた静止空気中の実験においても、鉄粉に対する空気の供給ないし拡散の状況は決して良好とはいえないにもかかわらず、海水を添加した鉄粉は容易に摂氏一〇〇度近くまで温度上昇を示すが、この場合一〇〇度近くで上昇が止まるのは、前記のとおり海水の蒸発による吸熱作用によるものと考えられるから、結局、当初の酸化反応は空気を必要とするけれども、その量は予想されるよりも少なくてすむと考えられるのである。

(iii ) さらに、鉄粉の温度が摂氏一〇〇度近くに達した場合、海水の蒸発によつて生じた水蒸気と鉄粉との関係について考察するに、乙第四一、第四二号証によれば、一般に温度が上昇すれば鉄粉の反応速度は増大するが、一定の酸素濃度の場合の反応速度は、鉄-水(水蒸気を含む。)系では温度が三〇度上る毎に二倍になり、とくにこの反応で水素の発生を伴うときには反応速度は二倍以上になるから、水蒸気と鉄粉の反応では相当反応速度が大きくなるとみてよいこと、このような状態(鉄粉と水蒸気とが接触する状態)で生じる反応は、<1>鉄粉と水蒸気が反応して四三酸化鉄(Fe3O4)と水素を生ずる反応、および<2>すでに水の存在で生じている水酸化第一鉄(Fe(OH)2) が分解して四三酸化鉄、水素、水などになる反応の二つであるが、このうち<1>の反応速度は最初に大きく、次第に鈍化する傾向があるが、塩素イオンが存在すると酸化被膜が不安定であつて、温度が高いため、反応はかなり強力に引き続いて起る可能性が強いこと、が認められ、これに反する証拠はない。

(ハ) ヘガネス鉄粉の自然発火の条件と規模効果

ヘガネス鉄粉の自然発火の条件について、乙第四一号証では、つぎのように述べている。すなわち、物質の自然発火に関する諸因子のうち発熱速度と物質の大きさについてみると、発火の条件は発熱速度には一乗でしか比例しないが、半径には二乗で正比例することが明らかにされているから、自然発火性については、もし他の条件が同一であれば発熱速度の比よりは物質の大きさの比の方がより大きく影響するのであつて、このことは発熱の不足を大きさすなわち規模で十分補うことができることを示し、この規模効果は、自然発火には欠かせない重要な因子であると述べられている。これに対し、甲第三一、三九号証では、ほぼつぎのように反論が述べられている。すなわち、もともと金属自体は頗る熱伝導率が大きく熱の蓄積には不利な物質であるが、これが粉末状となり粒子間に空気が介在すると熱の伝導率は通常の場合に比べてはるかに小さいので断熱性はよくなる。しかも、このような性質は堆積物の大きさにも関係し、大量堆積物の中心部では熱の放散は起りにくくなる。しかしながら、堆積が大きくなると、熱が逃げにくくなると同時に空気が入りにくくなり、酸化にも不利な条件となる。すなわち、酸化発熱のためには粒子間に存在する静止空気のみでは不十分であつて、外部からの空気の侵入ないし拡散が必要であることは実験によつて確かめられている。そして、原理的に考えると、空気が入らない場合にはおよそ発熱が生じないから、蓄熱のためには空気の侵入が不可欠である。その結果、堆積物の中心部においては熱は逃げにくいが発熱が少なく、これに反し、表面近くにおいては熱は逃げやすいが発熱が大きいため、実際には中心より表面近くの方が温度が高くなる。したがつて、鉄粉内で温度上昇が最大となるのはむしろ外側に近い方となり、中心部における蓄熱はそれほど重要でないため、試料の大きさは二次的因子となつてしまい、結局、規模効果の役割が支配的でなくなる、と述べられている。

ところで、右甲第三一、第三九号証のようにいうことは、自然発火性物質のうち自然酸化によるものについては、規模効果はおよそ生じえないというに等しいことになりはしないかとも考えられるのであるが、右同号証もそのような趣旨ではなく、ヘガネス鉄粉の場合には粒子が微小であるため堆積の場合にその内部への空気の侵入が困難になるという趣旨であろう。けだし、乙第三四号証では一般に自然発火の条件として大量堆積物の場合に発火の条件がよいことを指摘しているが、とくに自然分解による自然発火の場合に限定し、自然酸化による場合を除いていないし、乙第二九号証の調査報告にもみられるとおり、鉄粉ないし鉄切削屑の自然発火による火災事故(鉄粉と鉄切削屑との混合物の場合のみならず、鉄粉のみによる事故も含まれている。)はいずれもそれらが堆積された状態で生じているのであつて、このことは、堆積物の場合にはその内部への空気の侵入が比較的困難であるにかかわらず、断熱条件が蓄熱に有利であることの方が大きく作用するため、火災事故を惹起するに至ることを示しているというべきである。

また、ヘガネス鉄粉の自然発火における規模効果の点に関し、甲第三三号証の二および同第四〇号証では、実験の結果、ダライ粉の場合には規模効果が生ずるが、ヘガネス鉄粉の場合には規模効果を生じないことが明らかになつた旨述べられているが、右の甲第三三号証の二の場合にはその実験の程度の大きさの実験をもつて厳密な規模効果に関する結論を導き出すことができるかどうか、いささか疑問が残るし、また、同第四〇号証の場合にはその実験は、容器の上部のみしか開いていないので、空気との接触は容器の上部に限られ、鉄粉の内部まで十分に酸化がすすんでその内部に蓄熱が起る可能性の少ない実験といえるのではないかとの疑問がある。これに反し、乙第三九号証、同第四〇号証では、空気を一定量送入した場合においてではあるが、他の条件をほぼ同一にして鉄粉量を変化させた場合に、鉄粉量を多くした場合ほど自然発熱の最高検出温度が高くなり、かつ自然発火が生じやすく発火に要する時間も短縮されると述べられており、右実験については、空気を送入した点を除きとくに実験上問題とすべき点もないので、乙第三九、第四〇号証のいうとおり、ある程度の空気が送入された実験においては規模効果が生ずるというべきである。なお、原告らは右乙第三九、第四〇号証の実験において空気を送入した点を問題としているが、右実験に関与した証人若園吉一の証言によれば、乙第四〇号証の実験のうち鉄粉五一キログラムを用いた実験においては、鉄粉の空隙率を考慮に入れると右の空気の送入量は、毎秒一・三センチメートルにすぎず、現実の条件(第三資材倉庫内に格納されていたヘガネス鉄粉に対する空気の拡散の程度)に比し、必ずしも多量であるとはいえないものと考えられるので、右実験において空気を送入した点はさほど問題とするに足りないというべきである。

以上を要するに、ヘガネス鉄粉の自然発火においては、規模効果の有無が重要な要因であり、規模効果は一定の条件の下で生ずるということができる。

(ニ) ヘガネス鉄粉の発火温度

ところで、自然発火は上記のように蓄熱現象が進んで発火に至るものであるので、ヘガネス鉄粉について種様々の条件の下における発火温度を検討するに、発火温度の測定は温度上昇の速度が一定の時点で急激に増加する際におけるその点をとらえるのが相当であるというべきところ、乙第三八号証の実験の結果によれば、ヘガネス鉄粉(MH一〇〇-二四)の少量(一〇~二〇グラム)の試料を用いたときの発火温度は空気中において摂氏四〇八度であるが、これに海水一〇パーセントを加えると発火温度は摂氏二七八度となり、約一三〇度も低下したこと、また、この温度は同鉄粉を海水に浸漬する時間が長い程低下し、海水のほかに石油類が共存するとより低くなつたこと、また規模効果の影響があり、たとえば数キログラム程度の規模でも発火温度はさらに約五〇度低下したことがそれぞれ認められ、右の事実を綜合すると、海水および石油類が存在し、かつ、ある程度の規模効果が考えられる状態では、ヘガネス鉄粉の発火温度は、大巾に低下し、摂氏二〇〇度をも下廻わる可能性があることを推認することができる。

(ホ) ヘガネス鉄粉の自然発火の過程

ヘガネス鉄粉の自然発火の過程について、乙第四一号証ではつぎのように述べられている。すなわち、海水を湿潤させた鉄粉に空気を供給すると、酸化反応熱によつて温度は摂氏一〇〇度近くまで上昇する(第一次発熱)が、水分の蒸発によつてしばらくこの温度で平衡を保ち、水分がなくなると再び温度上昇が始まり(第二次発熱)、このとき水蒸気の供給があれば、ほとんど酸素を消費しないで水素を発生しながら昇温し、鉄粉の発火温度になれば急激な温度上昇(第三次発熱)がみられ、ついに発火に至ると述べられている。これに対し甲第三一、第三九号証では実際においては第一次発熱の段階しか起らないとし、その根拠としてほぼつぎのように述べている。すなわち、第一次発熱により鉄粉が摂氏一〇〇度近くになると、水蒸気が生成するが、このために吸熱量が増大し、鉄粉の温度上昇には不利となること、また第二次発熱の段階では、鉄粉と水蒸気が反応するとされるが、この反応の場合には鉄粉の空気による酸化の場合に比し発熱量が著しく小さく、そのうえ、摂氏一〇〇度以上では鉄粉表面に生ずる生成物を不安定にする海水の作用はないので、反応は遅く、結果として、温度上昇は鉄粉と空気との反応のときほど大きくならないこと、さらに第三次発熱の段階では、多量の空気送入が必要であるが、発熱のため必要な空気が現実の条件下においては鉄粉内部に入りにくいことを述べている。

しかしながら、条件のいかんによつては乙第四一号証のいうことく第二次、第三次の発熱が生ずるものであることは、乙第三九、第四〇号証の各実験の結果が示すところであるが、右実験に即してみるに、鉄粉層には毛管現象によつて水分(海水)が供給されるが、水分の蒸発に伴い一定の条件の下で水分の供給が若干減少し、このため鉄粉層の中に水に湿潤しない部分が生じてこの部分が蒸発による吸熱を断ち切つて第二次発熱を起すものと考えられる。

ところで乙第三九、第四〇号証の実験についてみるに、これらの実験は、現実の第三資材倉庫内におけるヘガネス鉄粉の状況と異なつた条件の下で行なわれたことはいうまでもないが、この点で主として問題となるのは、空気の送入量ならびにその方法の点と乙第四〇号証の実験の場合にヒーターを使用した点である。前者についてはすでに(ハ)で検討を加えたし、次項(三)でもさらに検討するので、ここでは後者についてみるに、仮にこのヒーターないしガスバーナーによる加熱が鉄粉層全体を加熱するものであるすれば、もはやそれは自然発火の実験とはいえず、したがつて、この実験において鉄粉層の温度上昇が認められたとしても、それはヒーター等の加熱によるものというべく、到底自然発火によるものとはいえない。しかし証人若園吉一の証言によると、乙第四〇号証の図一、三、六の各実験においては、水(海水)の供給が絶えないように常に水を補給していたのであつて、ヒーターはもつぱら海水を加熱し水蒸気を作出するために使用されたにすぎないことが認められるから、したがつて、乙第四〇号証の実験において鉄粉の発熱ないし発火したのは、これらヒーターの加熱によるものでなく、鉄粉が空気または水蒸気と反応することにより生じたものと解するのが相当である。

もつとも、甲第三三号証の一では、乙第三九、第四〇号証の実験結果と異なり、鉄粉の温度は摂氏一〇〇度を越えることはなかつたとの実験の結果が述べられているが、それは全体の実験の条件の相違に基づくものであると推測される。

また、第二次発熱に関しては、甲第三一、第三九号証のいうごとく、この段階で起るヘガネス鉄粉と水蒸気(水)との反応の場合、鉄粉と空気(酸素)との反応に比し、発熱量が相当に小さく第二次発熱が生じにくいのではないかとも考えられるが、しかし、水蒸気の供給が多量で、反応の温度が高温であり、かつ断熱条件が有利なときには、発熱量が少なくても蓄熱が進行し、実験上これに沿う結果も見られ、また、摂氏一〇〇度以上の第二次発熱の段階でも鉄粉と水蒸気との反応のみならず、鉄粉と空気(酸素)との反応も同時に生じているものと考えられるから、これらの反応によつて第二次発熱の可能性は十分にあると解される。

(三) 第三資材倉庫におけるヘガネス鉄粉の自然発火の可能性

(1)  第三資材倉庫における条件

(イ) 以上のように、理論上ならびに実験上はヘガネス鉄粉は自然発火を生ずる可能性があるというべきであるが、つぎに、本件第三資材倉庫内に格納されていたヘガネス鉄粉について、自然発火の可能性がどの程度存するかを検討する。

原告らはとくにこの点を強調し、実験においては、種々の条件を組み合わせることにより自然発火の結論が得られたとしても、現実には右のような実験室で人為的に作出されるような条件が得られる可能性は乏しいのであるから、現実の条件の下で自然発火に至る可能性はきわめて少ないと主張し、確かに鉄粉の自然発火の実験において発火の条件を作出することは必ずしも容易ではないから、実験室において得られた結果をもつて直ちに現実の自然発火を推認することは妥当ではないが、しかし、証人若園吉一、同北川徹三第一、二回の証言中に述べられているように、実際には複雑な諸条件がからみあつて、予想もできないような事故や現象の発生することが決して少なくないのであるから、このような観点から本件第三資材倉庫内の状況を検討してみると、上記の実験結果によれば鉄粉が自然発火するための条件としては、<1>鉄粉に適当量の海水が含まれていること、<2>ある程度の規模が存在すること、<3>空気(酸素)が存在すること、<4>摂氏一〇〇度付近から発火温度近くまでは水蒸気が存在すること、が必要であると考えられるが、まず、<1>については、すでに認定したとおり、本件地震の発生に伴い、地下水が到るところで湧出ないし噴出し、三菱金属工場および昭石旧工場は海岸の近くにあつたので右各工場の構内に湧出した地下水は海水である可能性が高いばかりでなく、新潟港付近の堤防の決壊と津波のため右各工場の構内には海水が流入したものと考えられること、右の浸水は第三資材倉庫付近において数十センチの深さに達したこと、このため同倉庫内に格納されていた鉄粉袋の一部は完全に海水につかり、一部は部分的に浸漬状態になつたこと、右の鉄粉袋が荷崩れ等により破損した場合にはもとより、そうでない場合にも紙袋の開口部および底部を通して海水がいわばじわじわと鉄粉層に侵入した可能性が大きいこと(証拠保全の現場検証の結果によれば、鉄粉袋が堆積されていた付近のコンクリート床が相当の深さに陥没していたことが認められるのであり、右は地震の際に生じたかあるいはなんらかの爆発現象によつて生じたかのいずれかと推測されるところ、前者であるとすれば、鉄粉袋の破損の可能性が一層高くなるし、また鉄粉が海水と接触する機会が増大する。)等が明らかであるから、鉄粉と海水との接触は十分に可能であつたと考えられる。つぎに、<2>については、第三資材倉庫内に鉄粉約九〇トンが五〇キログラム入の紙袋に収められ、その紙袋約一、八〇〇袋が十段ないし十数段に段積みされていたことおよびその一部に地震により荷崩れしたものがあると考えられることは、前認定のとおりであるから、これらのうち発火の可能性が強いのは海水に一部浸漬した状態の鉄粉ないし鉄粉袋であるが、一たび発熱が生じたときには、これら堆積の全体が放熱を防げる効果を発揮するものと考えられる。つぎに、<3>の点については、鉄粉の酸化のためには鉄粉粒子間に存する空気のみでは足りず、ある程度の空気の供給は不可欠であるが、すでにみたように甲第三三号証の一の実験によつても、鉄粉は静止空気中において、しかもまほう瓶の上部でのみ空気と接するにすぎない状態においても一定の温度上昇を示すものであつて、断熱の条件をも考慮したときには発熱、発火のためには空気の量は必ずしも多量であることを必要としないことは前認定のとおりであり、他方、鉄粉袋はその袋の紙自体を通してもまた袋の開口部および底部からも十分に空気が侵入し(仮に空気が侵入しないとすると、紙袋の内部は酸化による酸素の消費によつて紙袋の外部よりも気圧が低下することになるが、そのようなことはありえないと考えられる。)、さらに本件地震に際して荷崩れにより紙袋が破損した公算が大きく、このため鉄粉に空気が供給され易く、しかも、鉄粉が紙袋の外にこぼれ、堆積した場合でもその周囲には破損しない鉄粉袋があつた(このことは、証拠保全の現場検証の結果、紙袋づめの鉄粉が残存していたことからも明らかである。)のであるから、鉄粉のみの堆積の場合に比し、紙袋相互の間隙を通してはるかに堆積の中心部まで空気が侵入する可能性があるから、これらのことを考慮すれば、自然発熱の生ずるために必要な空気の供給が十分にあつたものと考えられるし、また、鉄粉の温度が摂氏一〇〇度以上に上昇した場合には、さほど空気を必要とせず、むしろ水蒸気の供給を必要とするのであるから、上記の程度の空気の供給さえあれば、<2>で述べた大量堆積による蓄熱効果と相まつて、自然発火に至る可能性が強いと考えられる(なお、鉄粉がぬれることによつても空気との接触が困難となるのではないかとの疑問があるが、鉄粉の堆積のうち、浸水面下に没した鉄粉にはほとんど空気は侵入しないと考えられるけれども、浸水面付近ないしその上部にある鉄粉の場合には、海水が毛管現象によつて供給されることを考慮しても、空気との接触は十分存すると考えられる。)。さらに、<4>の点については、鉄粉の発熱のため生じた熱により海水が蒸発し、水蒸気が発生するものと考えられる。もつとも、鉄粉が完全に水没している状況では、吸熱が著しいために容易には水蒸気が発生しないと考えられるのであるが、鉄粉が半ば海水に浸り、かつ毛管現象により海水の供給を受けている状況では、水蒸気の発生は十分に考えられ、これを補給する海水も十分に存在するから、引き続いて水蒸気が発生する可能性が大きいと考えられる。

(ロ) こうして自然発熱ないし自然発火によつてヘガネス鉄粉が一定の温度に達し、ついでこれが第三資材倉庫の内外に拡散浮遊した石油類ないしその気化ガスに引火して大規模な火災になつたものと考えられる。その過程を考えるに、まず、石油系可燃性ガスおよび液体の発火温度が別紙被告準備書面(第七回)のとおりであることは当事者間に争いがないところ、原告らはこの点につき物質の発火温度は条件によつて異なると主張するが、本件の場合石油類(ガソリンを含む)が水面上に拡散浮遊し、かつその状態で数時間を経ているので、石油類は気化し非常に発火し易い状態になつていたのであつて、この場合石油類の発火温度自体も低下することが十分考えられるし、また、右当事者間に争いのない事実によれば、石油系ガスおよび液体の発火温度はおおむね摂氏二八〇度(ガソリンの場合)ないし六〇〇度であるから、鉄粉がこれらの温度に達することによつて石油類に引火したものと考えられる。また、本件第二火災の出火に際して最初に白つぽい一条の煙が立ち上り、ついで数秒後に爆発音が生じ、すみやかに黒つぽい煙に変つていつたことは前示認定のとおりであるところ、右の白つぽい煙がどのような原因に基づくかは明らかではないが、前示証人石川、渋谷の各証言によれば、白つぽい煙を見たのち約四、五秒ないし一〇秒後に爆発音を聞き、同人らは危険を感じて退避したというのであるから、白つぽい煙が一定の高さ(右各証言では新潟アスフアルト工場の二倍くらいの高さ)に上る時間を考慮しても、それはごくわずかと考えられるから、これらのことから考えて、右の白つぽい煙が一定の規模の火災に達するまでに燃焼して後に石油類に引火したのではなく、したがつて、右の白つぽい煙は独立した火災とみるよりも、むしろ自然発火した鉄粉が石油類に引火する際に生じたなんらかの先駆的事象にすぎないものと考えられる。つぎに、爆発事象についてであるが、この現象は、右のようにして石油類に引火する際、石油類の気化ガスに引火したために生じたものか、鉄粉の自然発火の際に水素が発生し、これに引火爆発したために生じたものか、あるいは自然発火して相当の高温に達した鉄粉塊がなんらかの原因で浸水面等に接触したことにより水蒸気爆発を起したために生じたものかのいずれかと考えられる。そのいずれであるにせよ、出火時の爆発的現象は鉄粉の自然発火と矛盾するものではなく、むしろこれを裏付けるものというべきである。

(2)  第三資材倉庫の焼跡から発掘された試料AおよびB

以上により、三菱金属工場の第三資材倉庫内に格納されたヘガネス鉄粉の発火の可能性についての検討を一応終えたわけであるが、さらに右第三資材倉庫の焼跡から発掘された鉄粉塊状の物質について、被告らは右物質が自然発火による生成物であると主張し、原告らはこれを争うので、以下この点について検討する。

(イ) 試料AおよびBの発掘等の経緯

まず、右物質の発掘に至る経緯についてみるに、証拠保全の現場検証の結果と証人奥野紀道の証言とによれば、三菱金属工場の第三資材倉庫焼跡およびその付近一帯は、本件第二火災ののち、昭和四四年四月頃、訴外瀝青礦油株式会社が土砂の堆積場として使用していたものであるが、被告らにおいて本件訴訟等の証拠を収集すべく、同年五月二日、第三資材倉庫の焼跡付近を発掘したところ、第三資材倉庫のうち中央より西側は砂・タール等で埋没し、その上はトラツク等の通行しうる通路となつていたが、右のうち別紙第七図<省略>記載の青色で表示した最陥没部から多量の鉄粉および紙袋が発見され、さらに掘り上げるにつれて板、板片等が多数湛水面上に浮上し、また水面下から鉄粉の塊状のものがいくつか発見されたこと、ついで同年五月七日、新潟地方裁判所が証拠保全として実施した第三資材倉庫の焼跡を検証の際、別紙第七図に未発掘部と表示した部分から、袋詰になつた鉄粉が数段積み重ねられた形で発見され、さらにその下またはその西側から木製のパネルが見出され、また鉄粉袋の下およびそのあたりから鉄粉塊状の物質三個および白い粘土状に固まつたものが発見されたことがそれぞれ認められ、これに反する証拠はない。

被告らは、みずからの発掘により発見した鉄粉塊のうち最大のものの一部を乙第三七号証の試料Bとして区分けし、その残余の部分を検乙第三号証として、当裁判所に提出し、また証拠保全の検証の際発見された鉄粉塊状のものの一つを、乙第三七号証の試料Aとして区分けし、その残余の部分を検乙第二号証として当裁判所に提出し、さらに右検乙第三号証のうち原告らおよび被告らにおいて調査のため各々その一部を切りとつた残りの部分を検乙第四号証として当裁判所に提出し、そして、原告らは、右検乙第二号証、同第三号証の各一部をそれぞれ検甲第五号証、同第六号証として当裁判所に提出し、かつ、それぞれを甲第三八号証等の調査の試料A甲同B甲としたものである。

(ロ) 試料AおよびBについての検討

そこで、上記の試料A(証拠保全の現場検証の際得られたものの一部)および試料B(被告らにおいて第三資材倉庫跡から発見したものの一部)について(原告らの試料A甲、同B甲)、以下、<1>その成分は何か、<2>その熱履歴はどうか、<3>熱変化を受けたとしたとき、その熱変化は外部加熱によるのか反応熱によるのかなどにつき順次検討を加えるが、本件において原被告双方は主として試料B(B甲)を問題としているので、以下においても試料Bを中心に考察することとする。

<1> 試料B(B甲)の成分

乙第三七号証および同第四三号証では、試料BにX線回折試験、顕微鏡写真による組織の観察、エレクトロンマイクロプローブX線アナライザによる分析および化学分析を加えた結果、試料B中には鉄(Fe)、四三酸化鉄(Fe3O4)、β型水和酸化鉄(β-FeOOH)がそれぞれ含まれていると述べられており、甲第三八号証および同第四三号証では、試料B甲はFe、Fe3O4、α型水和酸化鉄(α-FeOOHから成り、その他に部分的に塩化カルシウム(CaCl2)、硅砂(SiO2)、霰石、水分および鉱物油が含まれていると述べられているので、これらによれば試料Bないし試料B甲中には少なくともFe、Fe3O4が共通して含まれていると認むべきである。

ところで、Fe、Fe3O4のほかにこれら試料に酸化第一鉄(FeO)が含まれているかどうかが<2>の試料の熱履歴を判定する重要な要素として、争われている。すなわち、乙第四七号証および同第五二号証では、X線回折試験および顕微鏡写真の観察の結果、試料B中にFeOが見出されたとするに対し、甲第三八号証および同第四三号証ではFeOは見出されないとするのであるが、乙第五二号証および証人北川徹三の証言(第二回)によると、同証人が、乙第四七号証で試料B中にFeOの存在することを指摘したところ、甲第四三号証により右はFeOの回折線とみるべきではなく、α-FeOOHの回折線とみるべきであるとの反論が加えられたので、京都大学化学研究所に依頼してより詳細なX線回折試験を行ない、そのうえで右の乙第五二号証を作成したことが認められ、かつ、同号証に徴するとかなり明確にFeOのピークが示されているのであるから、これらによれば、試料B中にはFeOが存在すると認めるのが相当である。これに対し証人原善四郎の証言(第二回)では、乙第五二号証の回折図についてはFeOの面指数と理論強度との関係からみて疑問があると述べ、また、試料B(B甲)に関する他の回折図ではFeOのピークは現れないし顕微鏡写真の判定上もFeOは見出せない(後記参照)のに、乙第五二号証の場合にのみ、しかも回折線が一本だけ強く現れているが、それはむしろ炭酸バリウムの回折線ピークを示すものではないかとの疑問がある旨述べているが、乙第五二号証は、上記のような回折試験およびその意見書作成の経緯からみても、詳細かつ綿密な試験に基づくものであることが明らかであるから、試料B中にFeOが存在すると解するのが相当である。乙第四七号証も明確ではないがFeOの存在を示すものと理解するのが正当であろう。

そして、FeOの存在がこのようにとらえがたいのは、乙第四七号証のいうように、生成したFeOが常温まで冷却される間にFeを析出してFe3O4になるためであるか、あるいは水蒸気との反応で、3Fe+H2O→Fe2O4+H2の反応式により分解するためであると考えられる。この点につき、甲第四三号証、同第四四号証および証人原善四郎の証言(第二回)では、後者の反応が生ずるとしても、Feの存するかぎり酸化によりFeOが生成するはずであり、FeOがすべてFe3O4になることはありえないと述べているが、乙第四〇号証によれば、現に自然発火の実験による生成物中にはFeOが見出されないことが明らかにされているのであるから、これによれば、FeOは常温まで温度が低下する間に分解し、あるいは水蒸気の存在下でFe3O4に変化し易く、そのために試料が摂氏五〇〇度以上に達した場合にもその存在を認めることが困難となるものと考えられる。

なお、乙第四三号証および同第四七号証の顕微鏡写真の判読について甲第四三、同第四四号証において指摘された疑問点-むしろα-FeOOHと考えるべきであるとする疑問―は残るとしても、証人若園吉一、同北川徹三(第二回)の各証言によると、α-FeOOHは容易に剥離しやすい性質なので顕微鏡写真に鮮明に現れることはないはずであると述べられており、結局、顕微鏡写真の上だけでは(Fe,FeO)ないしα-FeOOHおよびFe3O4の相互の位置関係も含めて)いずれとも断定することは困難であるというべきであろう。

<2> 試料A(A甲)および同B(B甲)の熱履歴

この点に関し、乙第三七号証および同第四三号証では、まず試料Bの外観観察を基にヒユツテイツヒの理論を適用し、試料Bは少なくとも摂氏六〇〇度、部分的には八〇〇ないし一、〇〇〇度という温度に達しているものと推定し、また顕微鏡観察により、試料B中に含まれるFe3O4の結晶粒は一五ミクロン程度に発達しているから、試料Bは低温における固化による生成物ではなく、高温における酸化鉄焼結物であると述べているのに対し、甲第三八号証、同第四三、第四四号証および証人原善四郎の証言(第一、二回)においては、(a)外観のみからでは低温における固化とも考えられるし、現に試料Bはのちに至り崩壊を始めた、(b)顕微鏡観察法は試料の部分的な場所における結晶粒の見かけの大きさを知る方法ではあるが、結晶粒の真の寸法などについて知ることはできないものであり、X線回折写真法(またはピンホール写真法)によると四三酸化鉄の平均結晶寸法は一ミクロン以下であり、各結晶粒は相互にでたらめな配向を示しており、また、大きな結晶粒は必ずしも高温によらずに常温による長期間の固化によつても生ずるのであるから、右の乙第四三号証等の意見には疑問があると反論し、さらに試料B甲は、(c)FeOを含んでいないから摂氏五〇〇度以上の温度を経たことはなく、(d)紙袋片が付着しているから紙が分解ないし燃焼するような温度にあつたことはなく、(e)礦物油を含んでいるから、これらの燃焼、放散する摂氏二〇〇ないし三八〇度の温度を経たことがなく、(f)鉄粉が摂氏一五〇度以上に達すればFe2O3が生成するはずであるのに、試料B甲はFe2O3を含まないから右の温度を経たことがないとの理由で、結局、試料B甲は(A甲も同じ)摂氏一五〇度以上の温度を経たことはない旨を述べている。そして、さらに、乙第四七号証および証人若園吉一、同北川徹三(第二回)の各証言では、右の(a)に対して、外観観察による方法は確かにそれのみでは決定的ではないが、他の方法とあわせ用いることができる、(b)に対して、顕微鏡写真法は決して結晶粒の見かけの大きさだけでなく、真の大きさをとらえることができるし、また甲第三八号証にいうような低温による固化の場合には〇・一ないし一ミクロン程度の大きさに達するのでさえ長年月を要する、(c)に対して、FeOを含んでいるから、摂氏五〇〇度以上の温度を経たことがある、(d)に対して、紙袋片が残つているのは、その部分が水中にあつたため、もしくは鉄粉による圧力により燃焼するに至らなかつたためにすぎないし、残存する紙袋片も現に炭化がすすんでいる。(e)に対して、礦物油は自然発火ののちになんらかの原因で含まれるに至つたと考えるべきである、(f)に対して、甲第三八号証では、外部加熱による生成物中にFe2O3が存在することから直ちに鉄粉が一定の温度に達すればFe2O3が存在するはずだとしているが、自然発火生成物の場合には外部加熱による生成物の場合と異なり、酸素の供給などの関係でFe2O3は存在しにくいし、また、甲第四三号証の実験も外部加熱実験であるにすぎない旨の再反論が述べられ、さらに、これに対しては甲第四五、第四六号証中において、紙袋の点について顕微鏡写真観察の結果、紙袋片試料中の繊維の変化の過程からみて、右紙袋片は摂氏一五〇度以上の温度を経ていないというべきである旨の再反論が加えられている。

これらを綜合して考えると、試料Bないし試料B甲は、少なくとも摂氏五〇〇度以上、部分的には一、〇〇〇度近い高温を経た可能性が十分にあるというべきである。けだし、<1>でみたように、試料B中には部分的にではあるがFeOが存在するとみることが十分可能であり、このことは試料が摂氏五〇〇度以上の温度を経たことを意味する、試料B中に存するFe3O4の結晶粒の中には少なくとも部分的には一五ミクロン程度の大きさに発達したものがあると認めるのが相当であり、また、その平均の大きさも「一ミクロン以下」とされる程度のものであるが(試料B甲中のFe3O4の結晶がよく発達していることは、甲第三八号証によつてもX線回折図のピークが鋭いことから認められている。)、このような大きな結晶は、常温の状態では五年くらいの年月(本件地震の時から発掘の時まで)では成長せず、むしろ高温によつて生じたものとみるのが相当である、試料BおよびB甲の外観の固結状況は焼結によるものと考えることが十分可能であり、また全体として自然発火実験によつて得られた生成物と類似しているからである。

なお、前示の礦物油は、本件第三資材倉庫内の状況にかんがみると試料Bが生成したのちに至つてこれに含まれたものと考えられる。また、Fe2O3が含まれていないことについては、Fe2O3の生成および変化の過程は必ずしも明らかではないが、何よりも、乙第四〇号証の鉄粉の自然発火実験による生成物中にFe2O3が見出されないことは、鉄粉が一定の高温に達した場合にも、通常は生成し易くかつ安定性があるといわれるFe2O3ではあるが、それも反応の過程が自然発火のように特殊な場合においては生成物中に含まれないこともありうると考えられる。また、紙袋片が付着していることについては、乙第四七号証により紙袋片は全体としては炭化がすすんでいることが明らかに認められるし、証拠保全の現場検証の結果、検甲第五、第六号証、検乙第二ないし第四号証の検証の結果ならびに証人奥野紀道の証言によれば、紙袋のうちには焼失した部分も存することが推認されるので、残存した紙袋片のうちには高温に達した鉄粉部分の近くに接していたにもかかわらず燃焼するに至らなかつたのがあつたとしても、そのことはとくに不思議ではないと考えられる。さらにまた、試料B甲がのちに崩壊し始めた点については、同試料は、高温による焼結物ではあつても、鉄ないし四三酸化鉄の融点(乙第四七号証によると鉄の融点は一五三五度、四三酸化鉄の融点は一五八〇度と認められる。)に達するまでには至らなかつたため、写真撮影の際ライトを照射する等によつて残存していた鉄が酸化を始めるなどなんらかの原因で崩壊することもありえないことではないと考えられる。なおまた、前掲各証拠によれば、試料Aおよび同A甲は試料Bおよび同B甲よりも相当低温の熱変化を受けたにすぎないと認められるが、しかし、証拠保全の現場検証の結果によれば、試料Bと試料Aとは若干離れた場所から発掘されたことが認められるし、また証人北川徹三の証言(第二回)によれば、自然発火生成物は相当に不均一であることが認められ、これに反する証拠はないので、試料Aが必ずしも相当の高温を経ていないとしても、このことは、試料Bが摂氏五〇〇度以上、部分的には一、〇〇〇度近い高温を経たものである旨の前記結論を左右するものではないと考えられる。

<3> 熱変化の原因

ところで、試料B(B甲)が高温を経たものであることは前示のとおりであるので、つぎに、それが外部加熱によるものかあるいは反応熱によるものかについて検討するに、乙第三七号証および同第四三号証では、試料Bについて、その切断面が鋳物肌状を呈していること、気孔が分布していること、Fe2O3が存在しないこと、成分および形状が乙第四〇号証の自然発火実験による生成物と類似していること、ならびに内部まで一様に酸化しており表面より内部の方が酸化が進んでいる部分も見受けられることなどの理由で、試料Bは外部の加熱によつて焼結したものではなく、ヘガネス鉄粉が自然発火し、その反応熱によつて焼結したものである旨述べられており、これに対し、甲第三八号証、同第四三号証および証人原善四郎の証言(第一、二回)では、試料Bは摂氏一五〇度以上の熱履歴を経ていないから、外部加熱によるものか否かは問題になりえないと述べ、また右乙第三七号証等の記載については、試料Bの酸化は内部の方が進んでいるとはいえず、むしろ外部の方が酸化の程度は著しいと反論し、試料B甲の来歴について、これはヘガネス鉄粉が一年以上の長期間にわたつて、水分混入の状態で空気と接触して酸化され、固結を生じたものである旨述べられているので、案ずるに、前記<2>で認定のとおり、試料Bが相当の高温を経たものである可能性が十分あるとするならば、その原因は、外部加熱によるものではなく、右乙第三八号証および同第四三号証のいうように、その外観および成分が自然発火の実験による生成物と類似している点などからみて、内部の反応熱によるものと考えるのが相当であるというべきである。なお、乙第四三号証中に試料Bの各部分について酸化の程度の判定が記載されている点については、前記甲第三八号証等の指摘するように、確かにその記載自体からしても必ずしも内部の方が酸化が進んでいるとは認められないというべきであるが、乙第三七号証および同第四三号証によれば、試料が全体としては内部まで酸化が進んでいて、外部のみ加熱された場合とは趣を異にしていることが認められるので、このことと前示の試料Bに含まれる成分ならびにその外観の形状が自然発火の実験による生成物と類似していることとを合わせ考えると、試料Bは内部の反応熱によつて前記の熱履歴を経るに至つたものである可能性が相当に高いというべきである。

4  結語

以上を要約するに、昭和三九年六月一六日午後一時すぎ本件地震(新潟地震)が起こり、その後約五時間を経た同日午後六時すぎ頃本件第二火災が発生したこと、本件第二火災の延焼火災によつて本件各保険契約の目的物件の全部または一部が焼燬したこと、本件第二火災の出火場所は三菱金属工場の第三資材倉庫内であると認めるほかはないこと、右第三資材倉庫内にはヘガネス社製の海綿鉄粉(MH一〇〇-二四、メツシユ一〇〇~二〇〇)が約九〇トン格納されていたこと、右ヘガネス鉄粉は海水の存在の下で空気中の酸素などと反応し、条件いかんによつては自然発火に至る可能性があること、右第三資材倉庫内は海水による浸水があり、しかも右のようにヘガネス鉄粉が大量に堆積されていたことなど自然発火の条件が存在していたし、また現に本件第二火災後証拠保全の現場検証の際に右第三資材倉庫の焼跡からヘガネス鉄粉が自然発火して生成したものである可能性のある塊状の物質が発堀されたことが明らかにされたというべきであるから、これらによれば、本件第二火災の火元の火災(火源)は、三菱金属工場の第三資材倉庫内に格納されていたヘガネス鉄粉の自然発火であると認めるのが相当である。そして、火災保険普通保険約款および組立保険普通保険約款の地震免責条項によつて保険者が保険金支払いの義務を免れるためには、火元の火災が直接たると間接たるとを問わず地震に因つて生じたものであることを要すると解すべきことは前記(第二、一、4)のとおりであるところ、上記のヘガネス鉄粉の自然発火が、本件地震に因り地下水や海水が第三資材倉庫内に侵入し、ヘガネス鉄粉がこれと接触することに因つて生じたものであることは、前認定に徴しいうまでもないところであるから、本件第二火災の火元の火災は、間接的にではあるが、本件地震に因つて生じたものというべきである。そうであるとすれば、この点に関する被告らの前記免責の抗弁は、ついに理由があるといわなければならない。

第三結論

以上のとおりであるから、火災保険契約ないし組立保険契約に基づき被告らに対し保険金の支払いを求める原告らの本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がないので、失当としてこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 杉本良吉 中平健吉 岩井俊)

(別紙第一図)、(別紙第三図)<省略>

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